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タテラッツィ

  • author: タテラッツィ
  • 観たもの触れたもの、マンドリン音楽活動などについて、書いていきます。

    【告知】
    マンドリンオーケストラ“未完成』第11回演奏会
    2011年2月27日(日)浜離宮朝日ホール音楽ホール
    13時30分開場、14時開演
    シューベルト「未完成」、クルト・ヴァイル「小さな三文音楽」ほか。
    入場無料です。

    リベルテマンドリンアンサンブル2枚目のCD発売中!
    マンドリンオーケストラ編曲の最高峰と、新たな世界を切り拓いた委嘱作品を収録。

    指揮:中川賢一(Ken'ichi Nakagawa)
    マンドリン独奏:望月豪(Go Mochizuki)
    演奏:リベルテ マンドリン アンサンブル
       リベルテ マンドリン オーケストラ

    ご購入・お問い合わせはduende-juergaあっとまーくezweb.ne.jpまで!
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    読んでる本
    昨日の「急募!急募!急募!」に対して、何人かの方からレスポンスをいただきました。

    どうもありがとうございます!

    しかしまだ、本決まりは1人もいない状態です(というか、「応援メッセージ」のコメントorメールが大半というか)。

    ぜひ、悩める子羊に愛の手を~!


    --------------------------------------------------------------

    ふだん、電車の中では、携帯で定期的に見ているサイトをちょこちょこと巡回した後は、本を読みます。
    もっとも、通勤電車に乗ってる時間は非常に短いので、あまり読めないんですが。

    自分は数種類の本を同時進行で読むタイプです。

    ・職場の昼休み用
    ・トイレ用
    ・電車用(休日編)
    ・電車用(平日編)
    ・寝る前用


    なんて具合に。

    今だと、

    ・トイレ用は「音楽通論」(楽典)だったりします。



    ずっと昔に一度読んだんですが、かなり忘れてしまったので、基礎の確認ということで。
    いや、読んで正解です。忘れたというよりは、「初めて知った」というのに限りなく近い知識がいっぱい。。。

    トイレで見るくらいがちょうどいいんですよね、ああいうのって。

    dolmente 優雅に優しく
    feloce 野生的にはげしく
    sognando 夢みるように
    volante 軽快に

    とか、「フムフム」と見ていくうちの一体どこで最終的に便意を催すことになるのか、それが近頃の朝の醍醐味となっています。

    tempestoso 嵐のように激しく

    とかでジャストタイミングとなった日と、

    amabile 愛らしく

    とかでなった日では、おのずと、一日の生活の仕方も違ってきます。

    はい、これ、もちろん全部ウソですよ。
    (ていうか、何で発想標語ばっかりなんだ)

    で、、、次行きますと、

    ・寝る前用

    は、

    「ひとつ、村上さんでやってみるか」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶつける490の質問



    「村上春樹が嫌い」という人は結構いるもので、というか、好きか嫌いかは紙一重みたいな作家なのかもしれませんが(誰が見たって、ある程度は面白いと思うけれど、その先にあるものを心地良いと感じるか、胡散臭い・無味乾燥と捉えるかの違い、みたいな)、取りあえず、このネットによるQ&Aシリーズは、かなりオススメです。

    ほぼ毎日、10~20ずつくらい、細々と読み進めている所です。
    はっきり言って、質問者への答えになっていないものも散見されます。しかし基本的には、「こういうカジュアルな媒体においてさえ、プロ作家の手にかかれば、これだけのクオリティのものとなるんだ」ということが示された感が強いですね。
    いかにも村上春樹らしく、質問に真っ直ぐ答えることはあまりしないのですが、質問の深意を汲み取り、現象ではなく、奥底に眠っている要素を盛り込んだ回答を作っているものが多く、それが凄いですね。上に書いたように、質問者への回答を超えて、単なる自己満足っぽくなってるのもありますが。

    ・電車用(休日編)
    ・電車用(平日編)


    は、一応、「カラマーゾフの兄弟」(ドストエフスキー)です。

    2005年に「上」を読んだっきり、「中」を読んでませんでした。

    最近ようやく「中」に着手。



    相変わらず、登場人物たちのリアクション、でか過ぎです。

    スメルジャコフを筆頭に、予測不可能なクセ者揃い。

    しかし、とっつきにくそうで、読み始めると面白いこの小説は、たしかに歴史に残る名作とされるだけのことはありますね。

    しかし、先日、たまたま本(カラ兄・中)を持って家を出るのを忘れてしまった日があって(これは平日じゃなくて土日でしたが)、その時に、電車で60分近くも手持ち無沙汰になるのもイヤだなぁ、そんな長いこと携帯サイトばっかり見てる気もしないなぁ、なんて思いつつキヨスクを物色してましたら、基本的にキライな「BRUTUS」という雑誌が目に留まりました。

    この雑誌の何がキライかと言うと、ひと言で「スノッブ過ぎる」からなんです。
    ただ、ときどき良い企画(と言っても、「みやげもの特集」みたいな号くらいのもんなので、アレなんですが・・・)をやっているのも確か。

    この時目に留まったのは、



    「特集
     脳科学者なら
     こう言うね!

     茂木健一郎
       ×
     サンクトペテルブルク、NY
    カルカッタ、羽生善治、大竹伸朗
     平松洋子、中沢新一etc」


    という内容。

    これは今現在の自分にはかなりヒットする内容と思われたので、即買いして、電車の中で必死こいて読んでおりました。

    自分このごろ、「人体の不思議」みたいなのに、恐らく生まれて初めて興味を持ち始めてます。

    茂木さんの「クオリア」という概念、これはもしかしたら、文系人間と理系人間が相互理解をする橋のような役目を果たせる概念かもしれないな、と思いました。

    つまり、

    赤い色の感覚
    水の冷たさ
    そこはかとない不安
    たおやかな予感

    など、これらは近代の科学的世界観では把握不可能だと茂木氏は言うんです。

    その先は私には説明不可能ですが。。。

    あ、

    ・職場の昼休み用

    は、今は特にナシですね。


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    読んだ本 | 01:51:30| Trackback(0)| Comments(0)
    「月の裏側」(恩田陸)
    本を読みましたので、たまには感想でも。

    「書評」なんて高度なもんではございません。

    音楽を文章で表現するのも、確かに難しいのですが、実は、本の方がさらにずっと難しいのではないか?と思っております。

    なぜなら、音を文字にするのは、比喩を用いたり、楽典の知識を総動員して分析的な書き方をしてみたり(あまりしてませんけど)、自分の中でそれなりに変換できれば、それなりの調理法があるように思うのです。
    しかし、文字で書かれたものを別の文字で表現するというのは、相当困難な作業であるように感じるのですよ。作者の書いたことの真意を掴み、そこを一点突破的足がかりにして端的に自分の感じたことを書くか、あるいは、細かくストーリーや展開を追っていくか、いずれにしても大変そうです。
    それができる人はスゴイなーといつも感心しております(何人か、書評書きの知人を知っていますもので)。

    自分のは、単なる「読書感想文」です。

    「月の裏側」(恩田陸)(幻冬舎文庫)


    九州の水郷都市・箭納倉。ここで三件の失踪事件が相次いだ。消えたのはいずれも掘割に面した日本家屋に住む老女だったが、不思議なことに、じきにひょっこり戻ってきたのだ、記憶を喪失したまま。まさか宇宙人による誘拐か、新興宗教による洗脳か、それとも?事件に興味を持った元大学教授・協一郎らは“人間もどき”の存在に気づく…。

    最近、恩田陸の作品がお気に入りです。

    と言っても、まだそう多くの作品を読んでいないのですが。

    この作品で言えば、郷愁・水辺への憧れと恐怖、そんなものが織り込まれたSFミステリーホラー?ということになるのでしょうか。

    一個の個人である人間が、実はある時を境に何者かに「盗まれて」いたら・・・!?

    人間が1つになるべきだという意思の存在。それに抗う個性的な人々との対峙。しかし、「個」というものは、本当に存在するのか?そもそも、自分自身が確固とした「個」であり、他の何者でもないということを、どのようにしたら証明できるのか?実は、何者かの意思によって、個としての大切な何かを「盗まれた」存在になってはいないか?

    作品は、そこに明確な答えをくれません。
    むしろ、それは読みながら、読者が1人1人、自分自身の答えを見つけていくように、恩田陸は単にヒントを与えてくれたに過ぎないのかもしれません。

    そもそも、「個」と「全体」というテーマだけで、この錯綜した作品の本質を全て説明し切れるものだとも、思えません。

    むしろ感じるのは、こうした大きなテーマを綺麗に内包させることができるディテールの緻密さ。
    ヤナクラという架空の水郷都市の描き方だとか、多聞や藍子といった登場人物が醸し出す個性。

    あと、場面転換のメリハリの素晴らしさ。
    田舎街に集まってきた主人公たちの静かな空気を一瞬にして呑み込んでしまうイベントの発生。
    例えば、突発的な事故現場で、藍子以外の全て人たちが、みんな一斉に口に手を当てたシーン。あり得ない。でも自分は読んでいて、何かの映像が脳裏に浮かびました。

    小説全体としては、個々の展開に「なんだか陳腐だなー」と思う部分もないわけじゃないんですが、それとは真逆の、「ははー、恐れ入りましたー」という箇所がそれを十分に覆い隠してくれていたように思いました。

    しかし、水辺っていうのは憧れますね。

    この小説の舞台は福岡県柳川市だそうですが、一度行ってみたいと思いましたし、またベネチアにも行きたくなりました。


    読んだ本 | 00:56:33| Trackback(0)| Comments(0)
    【書籍】ボスニア戦記
    世間では「●△戦記」と言えば、「ゲド戦記」な今日この頃。

    そちらは子供の頃、原作を読んだっきりで、映画もあまり評判良くない(?)もんですから、

    「1年くらいしてTVでやってるのを観ればいいや」

    くらいに思ってる次第です(そうやって、結局、「ハウル~」は未だに観てませんが・・・)

    で、今日読み終えたばかりのホヤホヤな本は、


    ボスニア戦記(水口康成)



    旧ユーゴスラビアにたった一人で潜入、セルビア勢力側からの報道を続けてきた、戦場カメラマンの記録。戦火のボスニアに取り残された、ただ一人の在留日本人・中屋敷郁子さん一家の救出に見た、外務省の「邦人保護政策」を告発する。


    今年7月に旅してきました旧ユーゴ関連本。

    かなりたくさんの本を出かける前に読み込んで行きましたが、これは帰国後にネット上で評判を知り、図書館からみつけてきた本です。

    著者はジャーナリスト。NHKやテレ朝でも、彼の撮った映像が使われたと言いますから、ボスニア紛争においては、第一級の仕事をしたジャーナリストの1人だったということなのでしょう。

    「旧ユーゴではセルビアが悪者」

    これは、欧米(特に米と独ですが)においては普遍の定理と言っていいくらい暗黙の了解となっている事項です。

    そうなってしまった背景を暴いた「戦争広告代理店」にもあるように、これはボスニアのムスリム政府とアメリカのPR企業の共謀作業の賜物だったわけでして、罪のない大多数のセルビア人は、その高価な代償を今なお払わされているのです。

    この水口氏の著書は1996年出版ですが、既にこの段階(ボスニア停戦は1995年)で、メディアの反セルビア姿勢に大いなる疑問を持ち、暗にバックボーンに何かがいることさえ示唆しています。

    そして彼はセルビア側からこの紛争の一部始終を見るという、「何故か」誰もやろうとしなかったことをやってのけたのでした。

    しかしながら、この著者の最も仰天すべき特質は、その淡々とした書きっぷりの中でうす気味悪いほどに見えてくる、行動の大胆さにあります。

    旧ユーゴ内戦最大の激戦地ブコバル(市街地の9割以上が破壊された)の市街戦なんかも、塹壕の中で観てきているし、

    サラエボの通称「スナイパー通り」をスナイパー側(セルビア側)と狙われる通り側(ムスリム側)両方で観てきていて、そんなことをまるでへっちゃらな感じにサクサクと報告しています。

    彼はあくまで、そうした状況を、

    「おいら、こんな危険な目に遭っちゃってさぁ。どうだ、すげーだろ、ビビっただろ?この平和ボケ国民どもよ!」

    っていう、某「不肖MYJM」氏みたいな「冒険野郎」のスタンスではなくて、事象の本質を透徹した視点で見抜き、あくまでその点をこそメッセージとして読者に伝えようとする、そういうタイプのジャーナリストなんだと思いました。

    特に、「邦人保護」の章は、日本の外務省のことを「害務省」と呼びたくなるほど、腐りきったこの組織の体質を深くえぐった報告で、大変興味深いものでした。






    読んだ本 | 02:27:17| Trackback(0)| Comments(0)
    歩みを止めた日に読んだ「歩く話」
    【ただ今のBGM】
    ショスタコーヴィチ:交響曲第13番「バビ・ヤール」

    ロジェストヴェンスキー指揮ソビエト文化省交響楽団


    昨日の話になりますが、入院時を除けば正月以来となる、完全休養日としました。

    「休養日」とか言いながら、よく、

    家の片付けだとか
    映画を観に行くだとか
    買い物やドライブをするだとか
    マンドリン関連の雑用に追われるだとか

    そんなのに追われて、「どこが休養やねん!」てことも多いわけですが、今回の「完全休養」は、本当に念入り。

    ・仕事は当然お休み
    ・ブログもお休み
    ・フトンからもほとんど出ない
    ・ケータイもPCもほとんど観ない

    という、まさに入院時並みの生活でした。


    しかし、1つだけ、新しいこと始めました。

    本棚サイトに登録しました。
    これで気の多いワタクシの読書の傾向も、少しは管理できるか、、


    で昨日、非常に興味深い本を読みました。

    脱出記―シベリアからインドまで歩いた男たち

    発刊から50年、いまなお読み継がれる冒険ノンフィクションの白眉
    ポーランド陸軍騎兵隊中尉だった著者はソ連当局にスパイ容疑で逮捕され、第二次世界大戦さなかの1941年、シベリアの強制収容所に流された。
    こんな極寒の地で、このまま朽ち果てたくはない!
    意を決した彼は、6人の仲間と脱走を図ったものの、その前途には想像を絶する試練が待ちうけていた……
    シベリア、モンゴル、ゴビ砂漠、チベット、ヒマラヤ……
    飢餓の苦しみ、極寒・炎暑との闘いを乗り越え、7人は歩き続けた「自由な国」をめざして
    極限状態においても希望を失わず、がんばり抜いた男たちの壮絶な戦記。




    ソ連強制収容所の恐ろしさの驚愕のレポートでもあるし、そして、信じがたい闘志を見せた男たちによる、人間の究極の姿とも言えるこの話。
    読んでいて、いつしか主人公たちと一緒に歩いている錯覚に陥ります。
    それは、このような究極の状況に追い込まれた人の話の割には、存外淡々と語られているからかもしれません。

    まず、あくまでこの話の中では前菜的な役割でしかないのですが、ソ連の理不尽な尋問、拷問、裁判、シベリアへの移送、鉄道終着点から強制収容所までの厳寒の地での「死の行進」。。。

    これだけで一級のレポになり得ますが、これがまだまだ話の序の口という所が、スゴイ・・・。

    いやしかし本当にこの話は、「ありえない」ことばかり。

    まず、

    「北シベリアからインドまで無一文で歩いて逃げた」

    ってのがあり得ない。

    「6500km歩いて逃げた」って、、、カンタンに言うけど、自分は歩くどころか高速道路をクルマで走るのだって、こんな距離、イヤですよ・・・。

    しかも、食べ物も金もなく、防寒服も不十分な状態。
    何より彼らは「脱走者」だったので、ソ連領内を出るまでは、経路上に住む人たちに食料を恵んでもらうことさえできずに、雪のシベリアをひたすら追ってに見つからぬよう逃げる逃げる。

    その後は、モンゴルやチベットでの遊牧民との温かいやり取りもあったが、恐ろしい灼熱のゴビ砂漠に、ごくわずかな食料だけで突っ込む無謀さ。それから死のヒマラヤ越え。
    「どうして迂回しないの?」とか思う箇所もありますが、地図もない彼らとしては、いたし方なかったんでしょう。

    しかし、脱走を成功させたクダリだとか、突如美しいヒロインが登場したりと、いろいろと話が出来すぎているようにも思えました。

    それゆえ「狂言」説もあるみたいで、自分も描写のあまりのきめ細かさだとか、上記の部分なんかは、「ちょっとクサイ」と思わなくもなかったです。

    でも第二次大戦中、このような「あり得ない」話が他にいくつもあったのだといいますから、まさに「事実は小説よりも奇なり」としか言いようがないです。。。

    それにしても、人間は「生きる」ことに関して、何と貪欲であることか。
    もしここに自殺志願者がいたら、この強烈な「生への渇望の書」を読んでから考えても遅くはないのでは!?


    読んだ本 | 00:22:33| Trackback(0)| Comments(0)
    退院しました
    退院しました。

    健康的なお話は再び「健康管理編」でお話していくことにしまして、今日は入院中読んだ本の感想でも。

    そうそう、昨日のブログ、画像の順番と文章の紹介が順番おかしかったですね。スミマセンm(_ _)m ←とかいいつつ、相変わらず間違いを訂正する気力が一向にないワタクシ・・・(「ブログは話し言葉と一緒だ!」が合言葉なので、言い間違いを言い直すくらいの頻度でしかワタクシ、文章も訂正いたしませんのであしからず~)

    【入院中に読んだ本一覧】

    1)回想のフォーレ~ピアノ曲をめぐって(マルグリット・ロン)音楽之友社
    2)ブラームスはお好き(サガン)新潮社
    3)リバーズ・エッジ(岡崎京子)宝島社
    4)「アルルの女」(ドーデー) 岩波文庫
    5)雑誌Number最新号(日本シリーズ特集)

    ※いま、読みかけなのは、

    「プロ・プレイヤーの演奏技法」フィリップ・ファーカス著(全音楽譜出版社)

    アメリカ3大オケで首席ホルン奏者を勤めた筆者の体験に基づく実践的な演奏論



    ----------------------------------------------------------------

    1)回想のフォーレ~ピアノ曲をめぐって(マルグリット・ロン)音楽之友社



    想い出から作品分析まで-。フォーレへの深い敬愛がにじみ出た、マルグリット・ロンの文章は、フォーレの音楽の魅力を生き生きと伝える。マルグリット・ロンのフォーレ回想録。

    筆者のマルグリット・ロンは、フォーレ・ドビュッシー・ラヴェルらと直接交流したピアニストで、曲の解釈も作曲者直伝です。フォーレの「舟歌」の一部やラヴェルの「クープランの墓」などを初演した人でもあります。もっとも彼女は途中でフォーレとは理解不能な理由で仲たがいしており、そのあたりの複雑な心境も覗かせるとても興味深い告白の書となっています。

    自分は今年12月と来年2月にフォーレの「組曲ドリー」を演奏することになっています。
    正直な所、作曲家の伝記とか読むのはそんなに好きじゃないんですが、フォーレについてはかなり惹かれる所もあったので、とりあえず図書館から借りてきた次第です。

    フォーレという作曲家の作風は、一応、時代別に初期・中期・後期と分類することができるようです。

    たしかに晩年の作品群の透明感・緊張感の高さは、ベートーヴェンやブルックナー、マーラーらのそれに匹敵するほどのものを感じます。フォーレも晩年、難聴に冒されたという事実もまたベートーヴェンの晩年に通じるものを感じさせます。難聴に冒された作曲家の作品というのは、使用音域や転調の多彩さなどに陰りが出る反面、音楽を内面的に捉えていく傾向が出てくるように思います。
    フォーレの「ピアノトリオ」やベートーヴェンの晩年のピアノソナタ・弦楽四重奏はまさにこうした作品群ですね。

    とは言え、彼女はフォーレの音楽には一貫してある特徴があるといいます。

    1つは、様式(スタイル)の統一性:「音楽語法が完璧に統一が取れているということ」としています
    2つめは、リズムの統一性:「作品に固有の生命の鼓動のようなもの」と評しています
    3つめは、調性の統一性:フォーレがこのうえなく繊細なニュアンスを発見した転調の多様性によって実現されている」としています

    それらが帰結する地点、それは「本物の古典主義」なのだそうです。

    たしかに自分はフォーレの中で唯一、音楽用語でない言葉を曲名にしている「ドリー」のような標題性のある音楽を聴いていてもなお、フォーレの中に「古典」を感じます。決してロマンに走ることのない人です。

    また他にも多くの啓示をこの本からもらいました。

    例えば一部を引用しますと、

    「フォーレの作品解釈は、ドビュッシーの場合とは違います。というのは、ドビュッシーにとって各音符は1つの「音」であり、それによって驚きのパレットは可能なかぎり変化に富んだものになるのですが、フォーレの場合は、大切なのはフレーズなのです。ドビュッシーにとっては一連の響きの感触が、フォーレにとっては音色の変化を伴った構想そのものが、大切なのです。」

    これはほんの一例ですが、フォーレの音楽の本質を表している言葉だと思いました。「ドリー」の冒頭曲を演奏する時に、1音1音のミクロな世界ばかり考えていたら、音楽になりませんもんね。あれは、基本的に4小節単位(8小節で3・3・2でカウントすべき所もある)のフレーズで捉えるべき音楽なのは、誰の目にも自明なことです。これはもちろん「1音1音のことは考えず、いい加減に弾く」という意味ではありませんが。

    ----------------------------------------------------------------

    2)ブラームスはお好き(サガン)新潮社



    この本を読み終えてわかったこと、それは・・・

    ブラームスとはほとんど関係のない小説だということ!(笑)

    むしろ正しくは、「ブラームスが好きであろうがなかろうが、んなこたぁ恋愛には関係ないんですよ~」っていう小説です。いえいえ、本当に。ウソじゃありません。

    しかしこの小説は男女の三角関係の超基本形に従った古典的名著とでもいうべきもので、最初のうちは正直、

    「あー、ヤバイもん取ってしまった。。。こんな耽美的な恋愛小説、病院なんかで読みたくないよーーー」

    って思ったんですが、でも話としては、かなり面白い。

    ま、「古典的名著」とされているものって、結局、なんとなく「難しそう」とか「ベタっぽい」とか思って避けちゃうけど、実際はここ10年間に書かれたどんな小説よりも面白かったりするんですよね。時代のフルイにかけられても残っているだけのことはありますねー。

    しかし気になるのは、このフランス人作家のお気楽なブルジョア中心主義。
    21世紀になってこれだけ「郊外」が荒れているのを見て、彼は何と思うか。しかし、サガンの時代にも既に移民1世はパリ郊外にいたはずなのです。

    自分はフランス文化って大好きではあるのですが、このへんの現実感覚の疎さはどうしても気になります。

    映画にしても、トリュフォー・ゴダール・カラックスの作品における移民の影の薄さ、「トリコロール3部作」とかもそうですね(作品としては大大大好きですが)。「アメリ」に至ってようやく移民が登場しますが、あの映画こそ「古き良きフランス文化に執着している映画」という側面も否めないですしね・・・。実際のパリはあんなにキレイじゃありませんから。

    ------------------------------------------------------------

    3)リバーズ・エッジ(岡崎京子)宝島社



    傑作ぞろいと言われる岡崎京子作品のなかでも、誰もが「代表作」と言い切る作品。90年代はじめの「都会」に生きる高校生たちの姿を描く。
    河口にほど近く、広く、ゆっくりと澱む河。セイタカアワダチソウが茂るその河原で、いじめられっこの山田は、腐りゆく死体を発見する。「自分が生きてるのか死んでるのかいつもわからないでいるけど/この死体をみると勇気が出るんだ」。過食しては吐く行為を繰り返すモデルのこずえもまた、この死体を愛していた。ふたりは、いつも率直で、「かわいい」ハルナにだけは心を許している。山田を執拗にいじめ抜くハルナの恋人、一方通行の好意を山田に寄せる少女、父親のわからない子どもを妊娠するハルナの友人。それぞれに重い状況を抱えた高校生たちがからみ合いながら物語は進行する。そして、新たな死体が、ひとつ生まれる。


    自分は何故だかわからないけど、岡崎京子という人を、「女性ご用達の作家」という色眼鏡で捉えていました。いや、実際そういうもてはやされ方をされていた向きもあったんでしょう。そしてそれにまんまと従い、自分は30代になるまで読む機会を逸してきたということです。

    1990年代の日本は今から見てもずいぶん閉塞感あふれる世の中でした。そんな中で学生時代を過ごした我々や少し下あたりの世代(1973-82年生まれあたり?)は、当時、「大人たち」がメディアの上で若者に対してあれこれ論じていたことに対して、「なに言ってんの?このオッサン」くらいにしか思っていなかったわけで、つまりはこの「オッサン」たちも当時、岡崎京子のこの「リバーズ・エッジ」を読んでおくべきだったのだ、なんて思いました。

    それだけこの漫画には、閉塞感、終わりなき日常というものが溢れています。実際にこの漫画のような光景に出くわした人は少数だったにせよ、この先、大人になって一体だからなんなんだ?みたいに思って日常に絶望してた人っていうのはいっぱいいたんだと思います(自分も高校時代の一時期にそういう感情に支配されたことがあったかもしれない)。

    そういう点で30歳を過ぎた今、これを自分が読んでいるのは、知人から借りたからという直接の動機は抜きにしても、それなりに意味があったことかもしれません。

    実際、この岡崎京子と言う人、筆力がすごいんですよ。
    だから読んでいて飽きることもないです。
    メッセージにはいっぱい理不尽が詰まっていてもそれなりにスイスイ読めてしまうのは、作家としての純粋な力量がものすごく高いってことに尽きるのでしょうね。

    4)「アルルの女」(ドーデー)岩波文庫



    来年2月のマンドリンオケ“未完成』ではビゼー作曲「アルルの女」を通常演奏会で頻繁にやっている組曲ではなく、劇音楽の形式でお届けいたします(演出方法などは現在検討中)。

    その原作であるこの「アルルの女」はその勉強・予習・準備のために必ず読んでおく必要があったわけで、はっきり言ってちょっと遅すぎるんですが、今になって読んだ次第です。

    この本のご紹介は、amazon.jpのリンク先に秀逸なコメントがあるので、そちらを引用させていただきます(著作権違反?)

    戯曲版の『アルルの女』です。題名になっている「アルルの女」は、作中には一度も登場せず、名前すら出てきません。でも存在感は圧倒的ですらあります。
    『アルルの女』といえば、ビゼーの組曲の方がかえって有名かもしれません。戯曲の展開を知った上で聴けば、アダージェットやファランドールなど10倍は楽しめるはずです。

    プロヴァンスの美しい自然の中で繰り広げられる物語はかなり激しい内容ですが、その中で翻弄される人々の心の動きには胸を打たれます。息子を心配する母の気持ちはローヌ河よりも深遠で、村娘ヴィヴェットの純情は可憐で萌えます。老僕バルタザールとルノー婆さんの短い一幕は喩えようもなく美しく、謎めいた白痴の存在は作品全体に文学的奥行きを与えます。

    活字の戯曲として読めばあっという間です。


    というわけで、現在絶版ではありますが、図書館にはほぼありますし、こうして中古市場ではかなり出回ってますので、入手もそう困難ではありません。↑の評者が書いているように、こうした戯曲物としてはなかなか文学的奥行きのようなものも感じさせてくれる仕上がりなので、“未完成』関係者はもとより、そうでない方も、ぜひご一読していただくことをオススメします!

    5)雑誌Number最新号(日本シリーズ特集)

    これはまあいいでしょう・・・。
    阪神の日本シリーズ大敗を野球専門家がどう分析しているかを知りたかったのです。
    江夏や田淵は甘すぎ!
    とだけ申しておきましょうか・・・・


    読んだ本 | 22:43:39| Trackback(0)| Comments(0)
    ロハス系ってなんやねん?
    アンケートの結果発表です。

    「一番旅してみたい都道府県は?」

    1位 北海道 (3票/18.8%)
    2位 沖縄県・東京都・宮城県・長野県・青森県 (2票/12.5%)
    3位 京都府・広島県・その他(1票/6.2%)


    【コメント】
    北海道が1位!ウンウンわかりますなー。
    実はワタクシの職場の親睦旅行、北海道に行くことに決まったんですけどね、案の定、マンドリン五重奏団les Cinq(レサンク)の本番とぶつかったので、自分は幹事のクセして行かないんです。
    うーん、北海道はどんな名目であれ行きたいっすねぇ。残念。

    今回ランクインした中で自分の未踏の地は沖縄だけ

    そういえば、少し前ですが、マンドリンオケ“未完成』の練習後の食事中にこんなことがありました。

    白あん:「今度オレ、沖縄行くんすよ」

    自分:「そういえばオレ、沖縄って行ったことないなー」

    Wtnb@ギター:「え?それは意外ですね。あれだけあちこち旅してるくせにぃー」

    白あん:「やっぱ海外いっぱい行ってると、沖縄なんてどうでも良くなるんですかね?」

    (注)他の人が敬語なのは、自分が彼らの大学の先輩に当たるためです、一応ここは日本なのでね・・・。

    誰か(忘れた):「そうですよね、沖縄行くのって結構カネかかりますし、同じカネで近い国だったら行けちゃいますもんねー」

    自分:「おいおい、ちょっと待て、お前ら!誰が『沖縄行きたくない』って言った!?オレは、沖縄、めちゃくちゃ行きてーよ!(笑)。すごく行きたいのに行くチャンスがたまたまなかっただけなの!外国とか関係ないの!!勝手に解釈しまくって盛り上がらないように!!(笑)」

    いやはや、いったい自分はどんなキャラなのかと・・・。

    しかし後から考えてみると、確かに例えば、沖縄とウズベキスタンが同じ旅費だったら・・・絶対ウズベキスタン行きますけどねぇ~。

    そういう志向性(嗜好性?)を周囲は自分以上によく見抜いてるということですか。

    ---------------------------------------------------------------

    最近、とにかく「外向き」な生活を送っています。

    日常生活のほとんどが、

    仕事
    マンドリン練習
    コンサート(オペラ)通い
    阪神戦の観戦
    通院


    といった、どちらかと言うとアクティブなもので終始してしまい、

    自己研鑽(資格試験勉強とか)
    演奏会のための譜読み
    読書
    DVD(映画)鑑賞


    そういうことへの時間があまり取れていません。
    人生を豊かなものにするには後者のものたちも必要不可欠だと思うのですがね、なにぶん最近は時間がなくって(いや、この言い訳はキライなのでした。実際は、他のことを削ってでもこっちに時間を取る気力がないってことでさあね。)。

    そんなわけで我が家には今、「買ったのに読んでない本」がいっぱいあるんですが、今日は久々に書店で新刊のチェックでもするかーと思って、帰りに少し大きめの本屋へ寄ってきました。

    で、自分は本屋とCD屋と洋服屋と図書館に入ると、とにかく長いんです!

    どのくらい長い?って、だいたい日が暮れた後に入店した場合だと、50パーセント以上の確率で閉店までいる。閉店が20時なら20時、23時なら23時で、滞在時間が1時間であったり3時間半であったり・・・(←ドアホ)

    今日は21時頃に書店に入り、閉店が22時の店だったので、当然のように閉店までいた次第(-_-;)

    で、まずはヒラ積みの本をチェック。数週間ぶりにまともに書店を物色する機会だったので、何か気になる新刊が出てないか、見てみたわけです。

    時節柄、阪神タイガース物で面白い本ないかな?とも思ったんですが、江夏豊氏による2005年の阪神の回顧録的な本があったくらいで、あまりめぼしいものはナシ。

    次に文庫本を見るも、家に読みかけの文庫が3~4冊あることを思い出し、購入を控えることに。

    新書の方に行くと、ブログ仲間のレナさん(たしか明日から腎臓移植手術のため入院です。ガンバレ!応援してます!!)がオススメしてた「下流社会-新たなる階層の出現」(光文社新書)なる本を発見。
    これはゲットしてきました。



    「いつかはクラウン」から「毎日100円ショップ」の時代へ 
    もはや「中流」ではない。「下流」なのだ

    「下流」とは、単に所得が低いということではない。コミュニケーション能力、生活能力、働く意欲、学ぶ意欲、消費意欲、つまり総じて人生への意欲が低いのである。その結果として所得が上がらず、未婚のままである確率も高い。そして彼らの中には、だらだら歩き、だらだら生きている者も少なくない。その方が楽だからだ。(「はじめに」より)
    「下流社会」とは具体的にどんな社会で、若い世代の価値観、生活、消費は今どう変わりつつあるのか。マーケティング・アナリストである著者が豊富なデータを元に書き上げた、階層問題における初の消費社会論。


    他には、

    レコード芸術11月号(最近滅多に買いませんが、今月は「モーツァルト名盤大全」という気になるタイトルだったのでつい・・・)

    「民族浄化」を裁く-旧ユーゴ戦犯法廷の現場から-(岩波新書)

    マニュアル不要のパソコン術(講談社)

    なんというか、実用書・ノンフィクションばっかですね。
    うーん、心が乾いているな・・・。

    読書好きの波が来ている時、自分は読む本のほとんどがフィクションになります。まー普通に小説や漫画ってことですけど。

    でも今は違う。これはきっと最初に書いたように、「外向き」に意識が行ってるのが原因かなと。

    そもそも今年になって腎臓病であることが発覚して、自分はかなり刹那主義的になりました。

    だって、将来を見据えて無難な人生設計した所で、80歳~90歳まで生きられるかわからないんじゃ、しゃーないですからね。
    (と言っても、そう悲観的になるほどの合理的な根拠も薄いのですがね)

    ま、腎臓病はいわゆる「保存期」(腎機能が残り30パーセントを切った状態。この先は腎機能の回復は見込みにくくなり、機能の急降下・人工透析導入を少しでも遅らせることに主眼を置くことになる。)に入ると、生活上かなりの制約を課されることになるんです。

    自分は必ず腎機能がそこまで落ちるとは限らないのですが、検査値としては、その公算は高いとされている事実もあるので、そうなってくると、病気に対するケアは当然やりつつも、同時に「今のうちしかやれないことは、早めにやっておく!」という意識がかなり強くなりました。

    だって、50歳・60歳になった自分の地図が描けないんですもん。
    出世とか子孫繁栄とか蓄財とかには、正直意欲を燃やしにくいです。
    「そらそうよ」(阪神・岡田監督の口グセ)てなもんです。

    上に挙げた「下流社会」って本によると、「団塊ジュニア」層のフリーターや低所得の増加で、いわゆる「希望格差社会」が誕生しつつあり、「下流」認定された人ほど刹那的に人生を送っているということだそうですので、その点で言ったらワタクシは「下流」人間ですわ。。。

    この本は、熟読するようなもんでもない(筆者の論にあまり共感できないし・・)ので、斜め読みしてわずか30分くらいでさきほど読み終えてしまったのですが、「下流」認定の基準として

    1 年収が年齢の10倍未満だ
    2 その日その日を気楽に生きたいと思う
    3 自分らしく生きるのがよいと思う
    4 好きなことだけして生きたい
    5 面倒くさがり、だらしない、出不精
    6 一人でいるのが好きだ
    7 地味で目立たない性格だ
    8 ファッションは自分流である
    9 食べることが面倒くさいと思うことがある
    10お菓子やファーストフードをよく食べる
    11一日中家でテレビゲームやインターネットをして過ごすことがよくある
    12未婚である(男性で33歳以上、女性で30歳以上の方)


    この12項目のうち、半分以上当てはまるものがある場合、その人はかなり「下流」的なのだそうです。

    自分は4つか5つ(ファッションについては第三者様が判断してくださいな)だ・・・。
    って所なので、一応セーフですか。

    ちなみに該当は2・3・4・6。
    超個人主義です(笑)

    まーこの本の「決め付け」はかなり酷いものがあります。
    全て、アンケートを裏づけとして使っている「決め付け」なのですが、感覚的には「ホンマかいな?」と思う記述が多いです。
    データってのは、自論に優位に働くものだけを上手に組み合わせたりすれば、如何様にも使えますからね。

    基本的には、

    明朗快活で
    規律正しい生活を送り
    スポーツ(ゴルフやテニス)好きで
    他者追従型で
    家庭を大事にし
    流行やブランドに弱く
    「山の手」(関東だと主に都心から見て西南方向または横浜川崎)に住む
    大学院卒の人
    (女性ならそれに加えて上品な趣味を持っている総合職キャリアウーマン)

    が、「上流」になりやすいのだそうで、

    「自分らしさ」を求めたり
    「手に職」を求めたり
    アーティスティックな欲求に身を委ねたり
    フリーターであること

    などが「下流」になるのだそうです。当たり前っちゃ当たり前だけど、

    「自分らしさ」を否定するなんて、「バカじゃないの?」

    って思ってしまいますけどね(^^;)

    ステレオタイプすぎやしないか?その見方は!って感じです。

    それにそれがたとえ事実だとしても、それを認識して一体なんになろうというのか?自分の子を「正しく」育てる指針にでもしろっていうのだろうか?

    と言っても、「団塊ジュニア」男性の場合だと「上流」「下流」という分類以外にさらに4つの階層の系統があるのだそうで、これは自分の実感としても「あー、これはあるかも!」って思いましたね。

    【ヤングエグゼクティブ系】
    高所得志向で出世志向も強い従来型のビジネスマン。当然比較的高学歴であり、性格的にもポジティブで趣味はスポーツなど外交的。結婚、家族形成も当然すべきことと考え、まったく迷いがない。
    (中略)しかし自分自身の独自の価値観はなく、あくまで、人がよいと思い、欲しいと思うものをいち早く手に入れることに喜びを感じるタイプ。

    【ロハス系】
    「健康で持続可能な生活様式」つまりスローライフ志向。
    この志向を持つ者は比較的高学歴、高所得だが、出世志向が弱い。マイペースで自分の好きな仕事をしていきたいと考えるタイプだが、嫌な仕事でもそつなくこなす業務処理能力もあるので、フリーターになるタイプとは異なる。ヤングエグゼクティブ系の男に対しては、教養がなくて暑苦しい奴だと内心軽蔑している。
    (中略)消費面では、有名高級ブランドには関心が弱いが、ひとひねりしたそこそこのものを買うのが自分らしいかなと思っている。
    (中略)高級感や値段でおどかすものより、知性と上品さが重要。

    【SPA!】系
    雑誌SPA!の主要読者層と思われる「中」から「下」にかけてのホワイトカラー系男性。
    特に勤勉ではなく、仕事好きでもないし、才能もないが、フリーターになるようなタイプではなく、仕事をするしかないので仕事をしているというタイプ。
    (中略)あまり高級な趣味はないが、サブカル好き。オタクと言われない程度にオタク趣味を持つ。
    (中略)パチンコなどギャンブルも好き。
    (中略)ロハス系と同様、できればもっと趣味の時間を増やしたいと思っているが、仕事の要領がよい方ではないので残業が多い。

    【フリーター系】
    自分らしく生きたい、好きなことを仕事にしたい、本当にやりたいことをやりたいなどと言って、正社員になることを拒んでいるうちに30歳になり、それでも自分らしさも好きな仕事も本当にみつからず、急に焦っている。(中略)収入が少ないので、衣食住すべてにお金をかけられないが、自分の好きな趣味にはお金を集中投下する。

    ワタクシは、ロハス系が理想ですなぁ。
    残念なのは、そんなに高所得じゃないってことくらいか(爆)。
    でも精神的にはロハス系でありたい。

    自分が日頃、接したり姿を観察している人って、

    職場・マンドリン界の人・家族親戚・演奏会にいる客・阪神ファン(笑)

    てなもんですが(電車や道端ってのは、さすがにいろんな人がいすぎて、なんともいえないので)、

    阪神ファンを除けば(失礼)、「ロハス系」の比率はすごく高いかもですね。

    ヤングエグゼクティブ系は、マンドリン界にはあんまりいないし、そういう人は仕事人間なので演奏会や野球場にもあまりいないし(接待で来ていたりするけど)、うちの職場にときたまいる程度でしょうか。あんまり接点ないですね。でも、ワタクシの前職はこの系統の人が全社員の80パーセントを占めるような所だったので、彼らの生態はよーく認識しております。

    SPA!系はやはり職場によくいます。彼らはマジメで紳士的で人畜無害なので、自分は基本的に仲いいです。っていうか、そもそもねー、自分はギャンブルもオタク趣味も皆無に近いですが、タイプ的にはここの階層とかなり親和性あるかもです。でも、正直、この階層に留まるのは退屈かも・・・。

    フリーター系とはさらに自分は相性いいと思いますね。
    物理的な条件を考えて、この道を選択することは自分にはあり得なかったけれど、生き方としてはヤングエグゼクティブ系なんかより、ずっと魅力的。なんだかんだで先進国の日本ではそうそう餓死することもないし、ある程度何かを我慢すれば、何とかなりますよね。
    でも、いまの自分みたいに病気を抱えてしまったら、やっぱり定職に就いてるあり難さはあるかもしれません、正直。


    読んだ本 | 02:19:42| Trackback(2)| Comments(0)
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