■PROFILE

タテラッツィ

  • author: タテラッツィ
  • 観たもの触れたもの、マンドリン音楽活動などについて、書いていきます。

    【告知】
    マンドリンオーケストラ“未完成』第11回演奏会
    2011年2月27日(日)浜離宮朝日ホール音楽ホール
    13時30分開場、14時開演
    シューベルト「未完成」、クルト・ヴァイル「小さな三文音楽」ほか。
    入場無料です。

    リベルテマンドリンアンサンブル2枚目のCD発売中!
    マンドリンオーケストラ編曲の最高峰と、新たな世界を切り拓いた委嘱作品を収録。

    指揮:中川賢一(Ken'ichi Nakagawa)
    マンドリン独奏:望月豪(Go Mochizuki)
    演奏:リベルテ マンドリン アンサンブル
       リベルテ マンドリン オーケストラ

    ご購入・お問い合わせはduende-juergaあっとまーくezweb.ne.jpまで!
  • RSS
  • ■RECENT ENTRIES
    ■CATEGORY
    ■ARCHIVES
    ■RECENT COMMENTS
    ■RECENT TRACKBACKS
    ■LINKS
    スポンサーサイト
    上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
    新しい記事を書く事で広告が消せます。


    スポンサー広告 | --:--:--| Trackback(-)| Comments(-)
    メンデルスZONE
    【ただ今のBGM】
    Suitte d'un Gout EtrangerよりSarabande, IV.57(Marin Marias)


    Jordi Savall (Bass Viol), Philippe Pierlot (Bass Viol), Marin Marais (作曲), Rolf Lislevand (Guitar, Theorbo), Xavier Daz-Latorre (Guitar, Theorbo), その他



    昨年のクラシック音楽界はモーツァルトイヤーということで、ただでさえ演奏頻度の高い所が、一種異様な光景を醸し出していたわけですが、その他にも実はシューマンとかショスタコーヴィチとか武満徹とか、そういった作曲家のメモリアルイヤーでもあり、クラシック音楽好きの、その中でも一部の人にしか注目されなかったとは言え、それなりにイベントなんかも開かれていました。

    しかし、マレ(Marin Marais(1656-1728))の生誕350周年であったこと、ここまで来ると、ほとんど知る人もいなかったのではないでしょうか?
    そもそも、「マレ?誰?」って感じかと。

    でも、結構いいんですよ、これが。
    特に、サヴァール率いるこの演奏グループによるシリーズは、いくつか聴きましたが、本当に素晴らしい。
    上記にクレジットされてませんが、アンタイというクラヴサン(鍵盤楽器)奏者も素晴らしい演奏してます(彼は最近、コンセール・フランセというアンサンブルを結成しまして、その「管弦楽組曲」(J.S.Bach)も出色の出来です)。
    バロック音楽が、その後の古典派→ロマン派と繋がっていく歴史の準備期に当たる音楽なのではなく、あくまでそれ独自の魅力を保っていたものであることが覗える、そんな曲と演奏。
    クラシック(バロック含む)好きだけでなく、「ワールドミュージックとしてのヨーロッパ音楽」が好きな人も気に入る可能性大でしょう。
    作曲当時の楽器、演奏法が貫かれると同時に、学究的な視野に陥らない自由な精神性の発露が覗えるこの演奏は、ある一部の趣味の人たちだけに聴かれるだけでは、あまりにももったいない、普遍的な魅力があるものだと、思います。


    演奏会に行ってきました。
    約2か月ぶりの演奏会。2007年の一発目です。

    読売日本交響楽団「芸劇名曲シリーズ」

    2月3日(土) 午後6時開演 東京芸術劇場(池袋)
    指揮:テオドール・グシュルバウアー
    ピアノ=レイフ・オヴェ・アンスネス

    ■メンデルスゾーン:〈フィンガルの洞窟〉序曲
    ■モーツァルト:ピアノ協奏曲第17番
    ■メンデルスゾーン:交響曲第3番〈スコットランド〉


    この演奏会を聴きに行った目的はある程度はっきりしていて、ピアニスト・アンスネスが聴きたかったから行った演奏会です。

    結果から言うと、アンスネスのモーツァルトもさることながら、メンデルスゾーンのある種アマチュア的(?)とも言える熱演ぶりに感心させられた演奏会でした。

    アンスネスというピアニストは、これまで主に「テノール歌手ボストリッジの伴奏」という形で聴くことが多い人でした。シューベルトだけは、村上春樹が著書の中で絶賛していたこともあり、CDを買って聴くこともありましたが(ミーハー)。
    北欧の人(ノルウェー人)らしく(?)瑞々しく端正な演奏をする人だなぁという印象です。そういう紋切り型の表現には、もちろん疑問もあるのですが、彼の場合はむしろ、紋切り型の範疇に納めたくなってしまうタイプかな、と。
    指揮者のサロネンとかに近い?
    それと、まだ若いせいか、情念のようなものはあまり感じられず、軽く流れるようなタッチで弾く人だと思います。音楽が上滑りしない程度に、一点に留まらず、自由に流れていく感じがあるな、と思います。

    モーツァルトのコンチェルト17番、これはモーツァルトのコンチェルトの中でそれほど有名な方ではないと思います。しかも自分は内田光子の演奏でしか聴いたことがなかったのですが、それとアンスネスの演奏はずいぶん違ったものでした。内田光子の演奏は1つ1つの音の中に深遠な世界がありそうな、そんな重みを含む演奏なのに対して、アンスネスのそれは、深遠な世界の存在を意図的に回避している感じがありました。特に第2楽章。別の曲かと思うくらい違います。どちらがより、モーツァルトの企図した音楽に近いかと言ったら、きっとアンスネスなのでは?という気がしますが、内田光子の演奏も、心に染み入るもので、自分はどっちも好きです。

    というわけで、アンスネスの演奏、とても満足しました。

    アンコールは「無言歌集」より「失われた幻影」Op67-2(メンデルスゾーン)でした。
    「でした」とか言ってますが、自分、「無言歌集」ってほとんど聴いてないので、ほぼ初めて聴く感じでした。
    繊細な演奏でとても良かった、とだけ申しておきましょう。
    (いかんせん、曲を知らな過ぎるので)

    演奏会全体のアンコールも交響曲第4番≪イタリア≫の第3楽章でした(定期演奏会はアンコールがないが、名曲コンサートの場合はアンコールがある模様)ので、全体が「メンデルスZONE」と化した演奏会でした。

    メインプロの「スコットランド」は、熱い演奏でびっくりしました。
    グシュルバウアーというウィーン出身の指揮者、たぶん初めて聴きましたが、いいですね。

    もっと、あっさり系の演奏をするのかと思いきや、かなりキツく絞り込んだアンサンブルで、並々ならぬ緊張感に覆われた演奏でした。
    メンデルスゾーンよりは、ベートーヴェンみたいだという感じもありましたが。
    彼のベト7とか、聴いてみたいな、と思いました。

    オケもいい意味でプロっぽくない演奏でした。
    ちょっと弦の音が汚いのが気になりましたが・・・。
    リズムを絞り込みすぎて、枠の中に音をはめ込むので必死っていう感じだったんでしょうか。潤いという点でもう少しこの曲の場合は、「美しい弦の音」を期待したい所がありますね。

    しかし、この演奏会の1回を大事にしている指揮者と奏者の思いが伝わってきました。某放送局所有のプロオケからは、どんなに良い演奏の時でも伝わってこないものがありましたね。

    当然ながら前エントリーで書いたコーダ改編版(byクレンペラー)ではなく、通常のものでした。
    「コメント」でうづぴょ様から指摘いただきましたが、確かに通常のコーダ、ちょっとダサいかも、、、。

    演奏会全体の満足度は「86点」くらいですかね。A~Eで言ったら、「Aマイナス」くらい。

    最近、単に「良い指揮者と良い曲と良い楽団」という条件が揃っているくらいでは、なかなか演奏会に足を運ぶ気がしなくなってきています。
    もうこれまでに十分すぎるくらい、そういう演奏会は聴いてきてしまったんですよね。
    なので、それだけでない、何か付加価値が欲しいです。

    ・無料で聴ける(タダ券ゲット)

    とか、

    ・自分だけでなく同行者が満足してくれそうな内容(同行者がいる場合)

    とか、

    ・演奏会場の近くに美味い店がある

    とか。

    いやいや、そういう外部的条件だけじゃなく、

    ・初めて生で聴く奏者&曲

    とかってのは大きいかもですね。

    一度でも生体験をした演奏者は、その後CDで聴いていても、生体験時の印象を媒介させつつ聴くことができるようになるので、ちょっとでも気に入った演奏者のは、生体験しておきたいってのはあります。

    そんなわけで今回は、わずか2000円の演奏会だったし、初の生アンスネスも堪能できたしで、十分過ぎるくらいの演奏会でした。






    スポンサーサイト
    レビュー | 01:38:45| Trackback(0)| Comments(0)
    ユーモア
    【ただ今のBGM】
    イギリス民謡組曲(ヴォーン・ウィリアムス)

    フィードラー指揮ボストンポップス


    前エントリのエッシャー展の感想。
    なんか外ヅラな記述が目立ちましたね。

    最近読んだ何かの本に、

    「あなたはタマネギになりたいか、それとも桃になりたいか、どっちなんだ?」

    と訊かれたという話がありました。

    いわく、

    「タマネギは皮を剥いても剥いても、皮ばかり。最後は真ん中に到達して、何もなくなってしまう。しかい、桃は真ん中にどっしりとした種がある。これが核となっている。人もまた、タマネギではなく桃のように、外ヅラよりも内面を磨いて生きなさい。」

    なんていうお話でした。

    前エントリーでの自分のエッシャー展の感想は、まさにタマネギ的感想でした。
    どんなに長文でも、しっかりとした種が真ん中に備わっているならば、派生する文章もまた、桃の実の部分のように熟してくるんだと思います。

    自分はさんざん「良かった」「良かった」って書いてまして、そして、それは実際に思ったことでもあるのですが、どこをどうしてそう思ったのか?ちょっと考えてみましたら、どうも自分はエッシャーの

    諧謔(ユーモア)

    が好きなのかぁ、ということに気付きました。

    自分は考えてみたら、音楽でも小説でも美術でも映画でも何でも、諧謔性のあるものが好きなのかな?と。
    ちょっとイタズラ小僧っぽいというか。

    エッシャーはユーモア満載でしたからね。架空の動物「でんぐりでんぐり」とか。
    たとえどんなに理知的に造詣が計算されていようと、絵そのものが美しかろうと、エッシャーの騙し絵に潜むユーモアの存在、これこそがこの画家を楽しむコツみたいなものなのかな?と思いました。


    レビュー | 01:16:37| Trackback(0)| Comments(0)
    スーパーエッシャー展(ある特異な版画家の軌跡)
    【ただ今のBGM】
    ハープとオーケストラのための小協奏曲op.39(ピエルネ)

    クリュイタンス指揮パリ音楽院管弦楽団

    アニー・シャラン(ハープ)




    ある必要性のために聴いていますが、いい曲ですねぇ。
    ハープの音がとにかくひたすら美しい。

    俗世間のイヤなことなど、全てどっかに飛んで行ってしまいそうです。

    あ、今日の自分は俗世間の生活を送ってなかったんでしたっけ。。。

    合宿明け自主休暇。

    ホワイトカラーエグゼンプションとはこれっぽっちもカンケーないですが(あれ導入されたら最悪ですよね・・・)

    さて、そんなこんなでかねてより行っておきたかったエッシャー展@渋谷Bunkamuraへ行ってきました。

    渋谷Bunkamuraと言えば、3年か4年くらい前にある映画監督の特集をやってた時なんかは、ル・シネマに休日の度にほとんどヌシ状態で入り浸っていた所で、だいたいどんな雰囲気の場所か、行く前から想像が付いてるわけですが、今日はいつもと全然違う雰囲気。

    連休明けの平日だと言うのに、ヒト!ヒト!ヒト!

    世間はこんなにヒマ人が多いのか!って思いましたよ(←オマエが言うなって)

    このエッシャー展への入場待ち時間は、チケットを窓口で買う人の場合、なんと40分待ち!

    「ひどく混む」という情報を事前に入手していて、ヤングな腐女子しかいない「109」の中にある「ぴあ」(ここに行く時、いつも109のキャピキャピ祭りを抜けていくので、ひじょーに気まずいです)でチケット事前購入していた自分は、待ち時間ゼロでした。

    今週の日曜日までで終わりですが、もしこれから行かれる方、いらっしゃいましたら、ぜひチケットは事前にコンビニか「ぴあ」等で購入してから行かれることをオススメします。

    入口が40分待ちということで危惧していた通り、中も人が寿司詰め状態でした(でも、昨年のダリ展@上野の森よりはいくぶんマシ)。

    エッシャー展、実は2002年にもBunkamuraに来てるんですよね。
    自分はそっちにも行ってたんですが、たしかあの時はガラガラだった記憶が。
    最近こういう20世紀アート、人気なんですかね。
    ダリもすごかったし。
    いや、そういえば、昨年は「若沖」(江戸時代の日本画家)も凄かったので、美術展全体がもしかしたら活況なのかも。

    「のだめ」効果でクラシックの演奏会も盛況続きだという噂を聞きますし、芸術ブームなんでしょうか?

    ただ、音楽は美術に比べると元々抽象度が高い芸術なので、美術のように20世紀モノに人気が出るということは、あまりないですね。

    音楽史と美術史はかなりの部分、シンクロしているわけですが、音楽史の中でダリとかエッシャーって言ったら、ジョリヴェとか、そういう時代です。

    ジョリヴェなんて一向にクラシックコンサートの主役級になりませんが、美術界じゃ、20世紀の画家の展覧会、いっぱいありますもんね。今だって、ルオーの回顧展が汐留で開催されたりしてるようです。

    というわけで、音楽でもこのヘンの時代のがもうちょっとメジャー化したらいいのになぁと思うんですけどね(決してわかりにくいものばかりでなく、むしろベートーヴェンとかよりもとっつき易いかもしれないものがいっぱい)。

    さて、そんな周辺的な話に終始し、すっかりエッシャー展自体の感想がおざなりですが、とにかく良かったです。
    人混みでも諦めずに丁寧に観ていたら、3時間半もかかってしまい、ヘトヘトになりましたが、でも満足です。

    噂の任天堂DSによる解説、たしかにあれは凄かったです。
    操作性も良くて、あれならお年寄りでも一人で使いこなせるでしょう。

    なんかDSに限らず、CGの動画を使って、エッシャー独特のだまし絵だとか、平面や立体の「正則分割」の説明がなされていて、めちゃくちゃわかりやすかったですね。
    未来の美術展はこうなるんだろうなあ、というのを想像以上に先取りしてしまった展覧会なのかな?という感じでした。
    あと10年もしたら、田舎に方まで全ての展覧会はこんな感じになっていくのかもしれないな、と思いました。

    展示は点数が多く、見どころ満載。

    エッシャーの作風の変化にしたがって、4つに分類。

    「1 身近なものと自画像」で、彼の習作時代を描き出し、

    「2 旅の風景」で、平坦な土地であるオランダに生まれ育ったエッシャーのイタリア生活に伴う起伏ある土地の立体性への憧れと賞賛が描かれます(この頃からずいぶんと幾何学的な分析を行っているような感じでした)。

    「3 平面と立体の正則分割」で遂に抽象的なジグソーパズルみたいな独自の世界に達し、

    「4 特異な視点、だまし絵」で彼の幾何学的分析が、これだけの錯覚現象をも生み得るんだ、ということが示されます。

    人が多すぎることを除けば、満足度は最高レベルの展覧会でした。


    レビュー | 01:22:55| Trackback(1)| Comments(0)
    キューピー3分間クッキング
    【ただ今のBGM】
    ペトルーシュカからの3章(ストラヴィンスキー)

    ポリーニ(ピアノ)




    これ、いま聴くと、「キューピー3分間クッキング」に置き換えて聴いちゃうって人、多いと思うんですけど(自分は昨日1日、頭から離れなかった・・・)、「のだめ」が弾いた演奏よりはこのポリーニ、相当速くて、曲の世界観が違う感じ。ポリーニの演奏は「のだめ」が聴いたら、

    「どうしてみんな私にこういうのばっか求めるの!?もうたくさん!」

    って言われちゃいそうな、そんな生真面目かつ完ぺき主義な演奏。

    それでもなお物足りなさが残るのは、この曲が本来、管弦楽用に書かれたバレエ音楽で、その響きを知っているからなのでしょうか。

    ピアノ版もストラヴィンスキー自身が編んだものだし、これはこれで素晴らしいと思いますが、どうしたって管弦楽版には勝てないなあ、という印象。
    音色のパレットが違い過ぎるからでしょうね、きっと。

    でも、例えば、マンドリンアンサンブルでこれやったら、すごくいいんじゃないか?という気がします。
    むしろ、ピアノよりもオケよりもいい感じになる可能性がなくもないような。

    「弾けるもんなら弾いてみろ!」

    とか、

    「著作権が・・・」

    とか、いろいろ問題はあり、前者後者ともに、この曲をマンドリンアンサンブルで発表しない絶対的な理由となり得るものだと思いますけれども・・・。

    マンドリンでポリーニ級の人(いるのか?)が、ストラヴィンスキーの譜面の権利を持っている人だか業者だかに許可もらって演奏してくれたら、地球の裏側へだって、聴きに出かけますけどねん。

    最近、ネットの接続が悪く、更新が進んでませんでした。

    でももう直りましたので、また「ほぼ日更新」でやっていきたいと思います。



    レビュー | 07:02:06| Trackback(0)| Comments(2)
    モツレク?フォーレク?
    【ただ今のBGM】
    レクイエム(モーツァルト)

    アーノンクール指揮ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス

    アルノルト・シェーンベルク合唱団



    演奏会に行ってきました。

    《スウェーデン放送合唱団 レクイエムの夕べ》

    2006年12月6日(水)19時 東京オペラシティ コンサートホール
    ○モーツァルト:レクイエム ニ短調(オルガン・ヴァージョン)
    ○フォーレ:レクイエム(オルガン・ヴァージョン)


    とは言っても、仕事場からの脱出に失敗し、後半しか聴けませんでした。。。

    いや、後半だけでも平日に演奏会行けるなんてうらやましい!

    という声もあるかもしれませんけど、それはまあ、はっきり言ってワタクシ、就職(転職)時の条件の1つとして、

    「いつでもどこでも、というわけにはいかないまでも、うまく行けば平日に演奏会を聴きに行く希望を持てる仕事」

    というのを優先順位の相当上位の方に掲げて求職活動をしていたわけでして、これはいわば自分で努力して勝ち取った条件と言えます。

    だからね、こんな、「せっかく半年も前に取ったチケットなのに、当日仕事抜けられなくて水の泡」などという、そんな「エコノミックアニマルかよっ!」な状況は、極めて遺憾なのですが、でも今日はどうしても不可抗力がありましてダメでした。

    モツレク(モーツァルトのレクイエム)とフォーレク(フォーレのレクイエム)

    自分はどちらも好きです。

    ただ、好きの度合いがフォーレクの方が断然上なんです。

    フォーレクは、この世の全ての音楽の中で疑いなく「ベスト10」に入る名曲だと思っていますが、モツレクは「ベスト300」に入るかどうかっていう程度。自分の中ではそのくらい違います。

    で、この日、遅れることが確定した時点で自分は2つのレクイエムのうどっちが前プロでどっちが後プロか、わかっていなかったんですけれども、

    「どうか神様仏様アッラー様、フォーレクが後プロでありますよーに!」

    という祈りとともに、初台の駅を下車。駆け足で既に通い慣れた東京オペラシティコンサートホールへの通路を急ぎます。

    到着しましたら、ちょうど休憩中でした。

    「おー、チケット代もったいないけど、なんとか半分は聴ける!それがフォーレクなら、今日はヨシとするか」

    と思って、有料販売のプログラムを立ち読み(失礼)してみましたら、、、


    あら残念。モツレクが後プロでした。

    でもまあ、「世界最高峰の合唱団」あるいは「合唱界のベルリンフィル」とも言われる超超超名門合唱団によるモツレクですから、これはこれでもちろん、心して聴かねば!ということで、聴きました。

    あ、ちなみにこの日の同行者は某KMD君でしたよ。

    【所感】
    オルガン伴奏のモツレクはあんまり面白くはないと思った。フォーレクだったらオルガン伴奏でも行けそうだけれどもモツレクにはもう少し度派手な要素も欲しい。フレーズの最後でオルガンだけデクレシェンドできないので、音が残ってバランスが悪い。そしてこのオルガン伴奏、歌とズレまくり。。。酷い。だけれども、合唱は感涙モノ。音感ナッシングでも、ピッチが見事に合っていることはわかる。特に「ラクリモサ」が泣けた。でもやっぱりモーツァルト本人の筆でない後半は、この「ラクリモサ」以外はどうしてもイマイチ。。。歌のソリストはまずまずかなぁ。ソプラノはもちっとリリックな方が好み。テナー・バリトンの男声陣は良かったと思う。指揮のカリユステはECMレーベルから多数CDを出すだけあって、バツグンにいい。アンコールはモーツァルト「アヴェ・ヴェルム・コルプス」。“未完成』の小演奏会でも弾いたし、GWのラフォルジュルネで腐るほど聴いた曲。実は“未』で今年の選曲候補だったという事実もあり(初暴露?)。少し速めでケレンミない演奏。だが、それがいい(なんじゃそら)。いや、ほんとに良かったんです。こういう曲は(も?)理屈では言えませんて。

    総合★★★★











    レビュー | 01:10:34| Trackback(0)| Comments(0)
    1つにならない・なれない
    【ただ今のBGM】
    交響曲第4番(ベートーヴェン)

    カルロス・クライバー指揮バイエルン放送交響楽団




    昨年亡くなった無頼漢カルロス・クライバー。

    「天才」とはこの人のためにある言葉でしょう!

    とか言うのも、もはや陳腐でしかない前人未到・突然変異の怪物指揮者だったわけですが、完璧主義者クライバーの狭いレパートリーの中でも最も得意としていた曲がこの「ベト4」です。

    そして、自分にとって、「一番聴いていてドキドキするオケ物CD」の1つがこのCDであります。

    この演奏を初めて聴いたのは、10年ほど前になりますが、当時、ワルターだのベームだのといった穏当な「ベト4」しか聴いていなかった自分は、びっくりしましたねえ。

    ベートーヴェンの交響曲4番

    人に「今度ベト●聴きに行くよ~」って言うと、かなりの確率で訊かれることがあります。

    「あれ、●番って『田園』だっけ?『英雄』だっけ?そういうの付いてないんだっけ??」

    ベートーヴェンは9曲の、そして「究極の」交響曲を書いたわけですが(copied by 池辺晋一郎)、その中でサブタイトルが付いているのは、わずかに4曲、つまり半分未満なんですよね。

    3番「英雄」
    5番「運命」
    6番「田園」
    9番「合唱付き」

    それも、5番に関しては、欧米では「運命」という名で呼ばれることは、あまり一般的でないようです。
    (輸入盤のCDをお持ちでしたら、見てみてください。「田園」には「Pastoral」とあっても、5番には何も書かれていないと思います。あ、でも万一、あったらゴメンなさいm(_ _)m←弱気モード)

    というわけで、交響曲の王様みたいに言われ、その後シューマンやシューベルトやブラームスなどが目標にしたというベートーヴェンの9曲の交響曲ですが、お茶の間レベル(?)なのは、せいぜい4曲程度、あーでも、「のだめ」の影響で7番もかな?まあでも、全部メジャーとは言えないのは間違いない所ですよね。

    そんな中でこのカルロス・クライバー(父のエーリッヒ・クライバーも相当な名指揮者だったので、区別するためにフルネームで呼ばれます)のベト4、この演奏は、ベトの中ではややマイナーなこの曲のイメージを覆してくれますね。

    シューマンいわく、この交響曲第4番は、

    『2人の北欧神話の巨人の間にはさまれたギリシアの乙女』

    なんだそうです。

    「2人の北欧神話の巨人」というのは、その前後の3番「英雄」と5番「運命」ですね。

    しかしカルロス・クライバーさんは、この曲を全くそうした「つなぎ曲」的視点で見てはいなかったようです。

    全楽章ともに、凄まじい速度。

    4楽章の速度指定は「Prest」(プレスト)で、もともとかなり速い指定なんですが、カルロスほど速い演奏はお目にかかったことがありません。後半、ファゴットソロの難所があるんですが、いまいち吹ききれてないんです。天下のバイエルン放送交響楽団の首席ファゴット奏者を以ってして、ベト4なんていうノーマルなレパートリーだと普通プロオケの人はマンネリ感覚に陥って弾いてるんじゃないか?なんて邪推するわけですけど、そうした猛者をもアップアップにさせてしまう、スゴイことだと思います。

    さて、前置きが長くなりましたが、実は、ある演奏会に行きまして、その感想を書こうと思っていたのでした(笑)。いえ、上記のはちゃんと?伏線として↓で生きてくると思います。たぶん。。。

    スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮ザールブリュッケン放送交響楽団演奏会

    東京オペラシティコンサートホール

    12月3日(日)14:00

    交響曲第1番 ハ長調 op.21 ★★★★★
    交響曲第4番 変ロ長調 op.60 ★★★★★★★∞
    交響曲第5番 ハ短調 op.67《運命》 ★★★


    061203_L.jpg


    スクロヴァチェフスキ、通称ミスターS

    カルロス・クライバーに負けず劣らず私の大好きな指揮者の一人です。
    (ていうか、好き嫌いで言えば、スクロヴァの方が好き)

    1998年だか99年だか以来、彼の来日時は一度も逃さず公演に出かけています(1度の来日で8公演やったとして、少なくとも1つは聴いた、という意味)。

    まず、最初の交響曲第一番。

    これはハイドンの影響下にあった交響曲だなんて解説されてたりしますが、第3楽章は指定上は「メヌエット」とありながら実質的にはベートーヴェンが開拓したロマン的様式「スケルツォ」に近いものですし、スクロヴェチェフスキの指揮も、相当速くて鋭いものを要求していました(単に速いというだけでなく、ニュアンス自体、端正なものよりも勢いあるものを要求していたように感じた、ということです)。

    次に交響曲第4番。

    これが白眉でした。

    上でご紹介したカルロス・クライバーのCD(実はDVDも持っていて、そっちの演奏は更にいいのですが)のテンポを上回るほどに速い演奏!

    スゴイ。。。

    もっとも良かったと思ったのは、速度が速いということではなく、内容に感銘を受けたからで、スクロヴァチェフスキの特質でもある対位法的処理の上手さ、つまり対旋律や内声部の強調といったものが見事に出ていまして、「あれ、ベト4なんていっぱい聴いてきたけど、こんな旋律あったっけ?」と思う箇所もありました。

    ベト4という曲は、『2人の北欧神話の巨人の間にはさまれたギリシアの乙女』と取るか、『ベートーヴェンが一番激しい曲を書いていた中期の頃の傑作の1つ』と取るか、解釈に多義性を持たせてくれる曲なのではないか?という気がします。

    スクロヴァチェフスキという指揮者は、まさにこういうのが得意なんですね。

    メロディをいっぱい歌いこんで、それでお涙ちょうだい!っていうタイプじゃなく、対旋律やベース音、装飾音などに注意を払って、主旋律はむしろそっけないくらいにして、音響を立体的に見せるというか、うまくいえませんが、そういうタイプです。

    そしてベト1とベト4、この2曲、中でもベト4は、そういうスクロヴァの特質にマッチした曲なんだと思いました。

    しかし、最後のベト5(運命)

    これが個人的には、イマイチでした。

    今回の演奏会の中では、圧倒的に知名度の高い曲で、お客さんのウケも非常に良く、終演後、いつまでも拍手が鳴り止まずに、団員が去った後も、スクロヴァ氏だけがステージ上に呼び戻される事態となったわけですが(もっとも、最近、東京ではこのシーンが頻繁にあり過ぎて、個人的にはちょっとシラけていますけど)、自分としては「うーん・・・」と何か煮えきれないものを持ったまま会場を去ることになりました。

    思うに、ベト5というのは、曲の方向性という点で、あまり多義性を認めない曲なのかな?という気がしました。

    もちろん、「運命」というサブタイトルがいかにも似合う深刻な演奏をするのか、それとも、誰だったか忘れましたが、「こんなの単なるアレグロ・コン・ブリオじゃん」といってそっけなく「ジャジャジャジャーン」と演奏する解釈を取るのか、その2択は、演奏史上においても重要な対立ですし、スクロヴァさんは明確に後者を志向していました。
    (なので、「運命」はもっと深刻にやってくれないと!っていう角度からの批判がもしかしたらあるかもです)

    自分がベト5について、多義性を認めない曲なのでは?と思ったのは、そこんところではなくて、この曲が構造的に持つ、「1つの所に向かって突き進む曲であること」に対してなんです。

    こればっかりは、曲自体の性質上、どうしようもないのかなあと。

    スクロヴァチェフスキという指揮者は、「苦しみもだえ、それを超えた所にゴールがある。だからみんなでそこに向かって頑張ろう!」みたいなものがあまり得意でないような気がするんですね。

    そうした1つに向かって収斂していくものよりも、もっと個が個であるままの状態を生かしながら、それでもきちんとポイントを掴んでいるから、バラバラにならずに個が生きる、みたいな演奏をする人なのかなあ、という気がしています。

    彼のブルックナーなんて、特にそういう傾向が色濃く出ていて、だから、チェリビダッケとかヴァントとかの「1つに向かって迷うことがない」ブルックナーが好きな人の中には、スクロヴァチェフスキのブルックナーは全く受け付けないという人が結構いるみたいです。

    いや、自分もブルックナーに関しては、そっちの方が正しいような気もするんですけど、でもスクロヴァのブルックナーも、これはこれでかなり好きだったりします。

    でも、どうしても「ベト5」では、「ちょっと違う気もするけど、これはこれでいいんじゃない?」という所にさえも行き着かなかったような、そんな感じでした。

    ちなみにアンコールはナシ。

    「コリオランかね。エグモントかね。それともレオノーレ3番かな?」

    なんて予想していた身としては肩透かしくらった感じでしたが、考えてみたら交響曲3つも聴かせてもらえたら、十分お腹いっぱいでした(笑)

    しかし、最近のオケの世界って、大曲志向がすごすぎるもんだから、もはやベートーヴェンの交響曲なんて、さすがに小曲とまでは言われないまでも、「演奏会のトリにしては軽い」とか言われたりしかねない時代になりましたね・・・。






    レビュー | 00:22:01| Trackback(0)| Comments(0)
    次のページ
    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。