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投稿日:2005-03-28 Mon
単なる貧乏性なのではないか???(爆)「不治の病」でムリは禁物とかいいながら、結局、今週末はかなりムリをしてしまいました。。。身の周りでいろんなことが起きてるのを知っていながら、おとなしくしてることなんて、どうも自分にゃムリムリだわさ。はっはっは。
でも、先週くらいでしたか、「自覚症状がない」なんて書きましたが、実は最近とても疲れやすいんです。今日は明らかにいろいろやリすぎ(超自業自得~)。
昼間 マンドリン五重奏「les Cinq」の練習
夜 マンドリンオケ“未完成』幹事会
les Cinq、久々のマンドリン練習。
最近、練習も手につかず、ロクに楽器に触ってなかったので、そのツケがモロに出ました。全然ダメ。
でも曲によっては、始めたばかりなのに、結構いい感じになってきました。
やはりles Cinq、練習がとても楽しいです。
演奏を止めた時に意見も活発に出ますし、他のパート聴いてるだけでも参考になる部分が多々あるし、演奏活動がとても生産的・発展的に感じる瞬間が多くて、心地いいんです。
“未完成』幹事会では「端っこでおとなしくしてよう」と思ったのですが、ダメでした。そんな芸当は自分にゃ不可能です。「きゃんきゃん」しゃべりっぱなし。下手したら9人いた会議メンバーの中で自分が一番しゃべってたんじゃなかろうか・・・?
「病気」発覚後、それに付随して、様々な悩み事が出てきまして、その1つに食事の問題があります。
これまで何でもかんでもジャンジャン食べてきた自分ですが、外食で食べるもの、困るんですよねー。まだ栄養分に関する知識が曖昧なので、食べてはいけないものなどの情報が中途ハンパでして。。。
今日のお昼に行った和風ファミレスで、自分が摂取してもいいメニューだったのは、たったの2品。どれもこれも美味しそうなのにぃ~。。。
自分は何せ、生きることの楽しみの半分近くは「食」にあるとか思ってきたので(だからカラダ壊した!!)、ツライですね~。でも知り合いと食事するのは、自分の人生の楽しみの1つなので、「外食」することは止めませんよ~(^_^)
ほら、酒飲めない人だって、「飲みに行ってハナシするのが好き」って人、たまにいるじゃないっすか?
自分もあーいう感じになりたい。ツバがこみ上げるのを押さえつつ。
ってわけで、知り合いの皆様、これからも遠慮せずにどんどんお食事に誘ってくださいね!(ただファーストフード、吉○家などはさすがに厳しい、、)
で、そういうのと関係ない日ごろの食事は徹底的に管理することにしました。
明日から職場には弁当を持参することにしました。
もう出前とかコンビニ弁当とかそういうのは止めます。
それと健康管理で今までと変わったこと。
風呂に必ず入る!
うわ、汚ねーーーとか思わないでくだしゃい!
「シャワーで済ますことはせず、湯に漬かる」
って意味です。
カラダ、特にお腹が温まることが重要みたいなので。
【一日一曲】
ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱付き」
フリッチャイ指揮ベルリンフィル(非日常的名演)
ヴァント指揮北ドイツ放送交響楽団(日常的名演)
自分は、今までこの曲について、正直そんなに素晴らしいと思ってなかったんですよね。
でも昨日、オケプロさんの演奏会を聴きに行き、今日クルマの中で、それから今もCDを聴いてまして、「あーやっぱこの曲って感動するや!」と見直しました(偉そう過ぎ)。
今まで気に入らなかった最大の理由は、特に第4楽章。
それまでの苦労・葛藤をヨソに
「おお友よ、このような音ではない!
もっと快いもっと歓びに満ちたものを
歌い出そうではないか!」
これ、オカシイでしょ!絶対。
あり得ない。人間はそんなカンタンに苦難を乗り越えられないし、悩み事も解決しない。不自然!
そう思ったんです。いや、これは何も歌詞の内容だけではなく、音楽的にもそうです。3楽章までの展開は一体なんだったのか?と。
自分はやはり「運命」のように、闘いを経て論理的に詰め将棋のごとく必然性を以って勝利しなければ納得できないって思ったんです。
でも、昨日から今日、何度もこの曲の第4楽章を聴いているうちに、「ああ、それは違うのかな」と思い始めました。
人生には残念ながら解決できない難題もたくさんあり、そういう「酸いも甘いも」受け入れて、「歌いだそう!」という「歓喜の歌」のメッセージ、ああ何と素晴らしいのだろう、と思いました。
たぶん自分はこのことを、今回の「病気」がなければあと10年は気付かなかったかもしれません。
世の中の出来事は気合いと努力で何とでもなる!っていう人生観でこれまで生きてきましたもので。
でも、もうムリはできないという烙印を押された今、「歓喜の歌」の本当に意味するところが少しですが、わかってきたような気がします。
あれはきっと、幸福な人のための音楽ではない。
心にカラダに、何かしらの傷を抱えつつ、それでも生きていかねばならない人間たちを讃えた歌なのではないか?
そう思います。
そういえば、ベートーヴェン自身、音楽家でありながら聴力を奪われた苦難の人生を歩んだ人でしたね。
そんなこの曲のCDは20種類以上も持っていますが、一番お気に入りの演奏の1つが、フリッチャイ指揮ベルリンフィルのもの。

第9を非日常の特別な音楽と考える向きには、最高の演奏です。歴史上最高のバリトン歌手、フィッシャー・ディースカウを起用していることも見逃せません。
温かい上に熱い演奏です。
そういえば指揮者のフリッチャイも難病を克服した人でしたね。
この曲を「ベートーヴェンの9番目の交響曲」として日常的に楽しみたい音楽オタクの方には、ギュンター・ヴァント指揮北ドイツ放送響の演奏がオススメです。この演奏で聴くと、この曲がいかに細かい所まで緻密に書かれているかを知ることができると思います。硬質でゴリゴリした音が心地よく、隅々まで見通しの良い演奏ですよ。
名盤の誉れ高いフルトヴェングラー盤は、なぜか自分は感動できません。理由はわかりまへん。
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