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タテラッツィ

  • author: タテラッツィ
  • 観たもの触れたもの、マンドリン音楽活動などについて、書いていきます。

    【告知】
    マンドリンオーケストラ“未完成』第11回演奏会
    2011年2月27日(日)浜離宮朝日ホール音楽ホール
    13時30分開場、14時開演
    シューベルト「未完成」、クルト・ヴァイル「小さな三文音楽」ほか。
    入場無料です。

    リベルテマンドリンアンサンブル2枚目のCD発売中!
    マンドリンオーケストラ編曲の最高峰と、新たな世界を切り拓いた委嘱作品を収録。

    指揮:中川賢一(Ken'ichi Nakagawa)
    マンドリン独奏:望月豪(Go Mochizuki)
    演奏:リベルテ マンドリン アンサンブル
       リベルテ マンドリン オーケストラ

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    地震と戦争の話
    世間は夏休みみたいですね。
    ウチはお盆に休むという風習はなく、7~9月の間に自分で都合を付けて取得する仕組み。
    しかし今年のワタクシは・・・今さら言うまでもなく、入院+療養で休暇は終了でやんす。

    で、今日も仕事をしていると、グラグラっと揺れが。

    今日の宮城県沖地震はここ関東でもかなり大きい揺れでしたねー。
    なんだか船に揺られてるような変な横揺れ。
    ありゃ一体なんなんすかね?
    書類棚が少々ぐらついてたので、途中から男3人くらいで支えてましたよ。

    もっとも先月の地震では、うちの職場では棚が倒れたりテレビが落っこちたりしたらしい(「らしい」というのは、ワタクシ当時入院中なので伝聞形)ので、今回は関東はまだマシだったってことですね。

    地震が起こるとまず気になるのが、我が家に1人で留守番しているワンコ様@ウェリッシュコーギーのこと。
    在宅中に地震があると、怖がってこっちに飛びついてきます。留守番中だと、さぞかし怖い思いをしていることでしょう。
    もし、もっと巨大なのが留守中に起こってしまったら、、、はたして救出できるだろうか?
    かなり心配です。

    交通機関のマヒも東北では深刻だったようで、Uターンラッシュの中、大変なことになってる方もいるようです。
    知り合いにも巻き込まれた人がいます。お疲れ様です。

    -----------------------------------------------------------------

    ところで8月15日は「終戦記念日」でした。

    自分は12時ジャストに黙祷だけ捧げました(うちの職場ではみんなやるので)。

    戦後60年も経ち、リアルタイムで先の大戦を記憶している人が人生の黄昏時を迎えている中で、我々にとっては真上から空爆されるとか、食うものがないほど国家から徴用されてしまうとか、そういう感覚はよくわかりません(わかる必要もないですけどね)。

    というわけで、最近観た映画から1つ書くことで戦争を考えます。

    「ドイツ零年」ロッセリーニ監督 1947年



    ロッセリーニ「戦争三部作」の第三弾。
    前二作(『無防備都市』『戦火のかなた』)でイタリアの対独レジスタンスを描いたロッセリーニが次なる舞台に選んだのは、敗戦直後、物心共に廃虚と化した、ドイツの帝都ベルリンであった。


    フランスの巨匠、トリュフォー監督がこの映画をこんな風に評しています。

    「私自身の作品にも、意識的に、単純率直にただ一人の人物を記録的に追っているものがあるけれども、その方法を私はロッセリーニから学んだのである。ジャン・ヴィゴをのぞけば、子供の世界を、センチメンタルな優しさや、涙なしに描くことの出来る映画作家はロッセリーニだけである。私の『大人は判ってくれない』はロッセリーニの『ドイツ零年』に負うところが大きい」(フランソワ・トリュフォー)

    子供を冷徹に描いた映画。子供が無邪気でいることができなくなってしまっている映画。
    そんな風にしか描けない時代背景を持った戦後まもないドイツ。
    こうした状況は、同時期の日本も同じようなものでしょう。

    大人たちが、これまで信じてきた価値観を根底から否定されて茫然自失の状態になっている中で、これから育っていくべき子供たちは一体誰を、何を信じていけばいいのかがわからない。

    戦争とは言うまでもなく、個人で行うものではなく、国家というマスの単位で力を結集させて行うものです。
    勝つためには、物心両面において、戦争に奉仕できない要素は社会から排除していく。
    それはイラク戦争時のアメリカにだって多少は見られた現象。

    敗者となった時、この「信仰」から開放された時、民衆はもはやどうにもならなくなっています。
    なにしろ思想を吹き込んだ権力者本人たちは、亡命してるか死んでるか戦犯として法廷にかけられているか、そのいずれかにしかなりません。
    そこに一種の権力の空白地帯、思想の空白地帯が訪れます。
    これまで盲目的に従うほかなかった民が、いきなり新しい価値観を創造しようと言っても、いくらか時間がかかるのです。
    この映画は、そんな「空白の2年間」の虚無的な時代を描いたものなのです。

    敗戦直後のベルリン、そこは数年間に渡る空爆に晒された上に、最後は地上戦まで行われ、占領したソ連軍からは略奪・強姦・虐殺・放火といった阿鼻叫喚の地獄絵図が繰り広げられたという、人類史上有数とも言える絶望の地でした。

    ヒトラーは死ぬ直前に、

    「我々(ナチス)がいなくなった後のドイツ、ヨーロッパにもたしかに人間は残るが、それは全く意味のない屍だ。偉大なヨーロッパ文化・ゲルマン文化は破滅したのだ」

    というようなことを捨てゼリフよろしく残していったそうですが、敗戦直前にはナチスからも完全に見捨てられた民となっていた帝都ベルリンの数百万の民は、戦後しばらくの間、何とかして自力で生きていかなければならなかったのです。

    犯罪に走る者、カラダを売る者、病気になってもなかなか入院もできない者、戦犯として突き出されることを恐れて配給を受け取るための登録もできずに家の中で隠れ住んでいる者、そこには秩序と論理を愛するドイツ人の姿は全く見られなくなっていました。

    この映画はそうした「ドイツのゼロ」の状態を克明すぎるほどリアルに描き出しています。

    主人公の少年は、あることをきっかけに自らに十字架を背負うようになります。その十字架こそが、滅びた過去のドイツそのものであり、それを克服して生きていく次世代の力=少年こそが、新生ドイツを象徴する図式となるのかと思いきや・・・(あとは観てください)。

    冷徹な映画、救いなどまったくない映画。
    しかし、この映画の中に存在しない「救い」を、実は我々は知っています。
    それは、現在のドイツが立派に発展していることを我々が知っているということ。
    歴史的史実を背景とした作品の興味深い所は、そういう所にあるような気がします。
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    映画 | 01:11:04| Trackback(0)| Comments(2)
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