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タテラッツィ

  • author: タテラッツィ
  • 観たもの触れたもの、マンドリン音楽活動などについて、書いていきます。

    【告知】
    マンドリンオーケストラ“未完成』第11回演奏会
    2011年2月27日(日)浜離宮朝日ホール音楽ホール
    13時30分開場、14時開演
    シューベルト「未完成」、クルト・ヴァイル「小さな三文音楽」ほか。
    入場無料です。

    リベルテマンドリンアンサンブル2枚目のCD発売中!
    マンドリンオーケストラ編曲の最高峰と、新たな世界を切り拓いた委嘱作品を収録。

    指揮:中川賢一(Ken'ichi Nakagawa)
    マンドリン独奏:望月豪(Go Mochizuki)
    演奏:リベルテ マンドリン アンサンブル
       リベルテ マンドリン オーケストラ

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    terribleなbirthday
    だいたい誕生日なんてのは、20代後半くらいから先は、よほどステキな祝い方でもされない限り、年齢を重ねるだけの日となってしまうのでしょう。

    それにしたって、今日(もう昨日だけど)はヒドかった・・・。

    仕事で久々に終電を逃し、タクシーで帰宅。

    合宿の翌日にコレってのは、ステロイド剤大量投与してる腎臓病患者のやるこっちゃありません(言うまでもないか)。

    というワケで、明日以降の仕事のメドも大体は立ったので、今日は帰り際に、既に帰宅済みの上司の机の上に、

    「9月21日、すみませんがお休みさせてください」

    というメモを残して帰りました。

    いや、もう情けないですが、「深夜残業」ってのは、自分にゃムリっすーーー。
    今日よーくわかりました。
    だいたい今の自分の体で「うー限界!」って思ったのが22時くらい。

    世界的に「超ウルトラ勤勉国民」とされる日本人としては、22時なんてまーったく普通の時間ですよね(これが世界水準から見て如何に「奇妙」なことなのか、日本人で理解してる人、少ないですよね。ヨーロッパ人に「法定労働時間より月に50~100時間多く働く人はザラ」なんて言ったら、彼らは卒倒しますよ、きっと。夜8時からのコンサートにサラリーマンが行く場合は、仕事から一度帰宅して家で夕食食べて、それからタキシードで盛装して出かけるっていう人種ですから、彼らは。アメリカはヨーロッパと日本の間くらいの労働体系のようですが)。

    合宿明けのせいも少しはあるかもしれないけど、22時で既にフラフラのボロボロでした。

    こんなことしてたらきっと数日のうちに自分の腎機能は数パーセントは低下してしまう。

    22時以降は、半ば翌日休むことを念頭に置きつつ、「そのためにここで仕事のメドを完全に付けて帰る!」っていう感じで済ませてしまいました。

    ある拍子に上司にも同僚にも、昨日まで合宿だったことを知らせてしまったので、なんだか後ろめたい気もしましたが、この「このまま寝たら起きれずに死んじゃうんじゃないの?」っていう疲れ方(オーバー)は合宿ばかりが原因とはいえないです。

    とか言いつつ、帰宅して食事済ませてから、今の今まで20分くらい楽器弾いてました。小さい音で。「音取り」ってやつですね。

    「音取り」ってのは、これはある人の受け売りの言い方ですが、リズムと音高を取るだけではない。スラーとかスタカート、ピアノとかフォルテとか、ウィーン風の3拍子の奏法とか、そういうの全部ひっくるめて、「音を取る」ってことが重要であり、そして絶対にやんなきゃいけないこと。

    よく、

    「拍どおりに音が出せるまでは、先のステップになんて進めないよ」

    なんて意見も聞きますが、これは断じて違う。

    だいたいアマチュアマンドリン楽団レベルでは、この手法を取ってしまうと95パーセント以上の人が、「拍どおりに音を出せる」状態にすること「のみ」を演奏行為・練習だと思い込んでしまうでしょう。でも、それは寂しい気がするし、何より効果的でない。

    最初っから表現も一緒に練習しないと、最後までカクカクな演奏しかできない。これは経験則的にもそうですし、他の人の様子を見ていても感じることです。

    と言ってもメトロノームを使うのは、「音取り」段階では有用なのでしょう。自分だって使います。

    でも、テンポの細かい伸び縮みの必然性なんてのは、絶対にメトロノームでは感得できないし、そもそも楽譜の拍なんてもの自体が一種の目安にしか過ぎないとさえ思います。

    指揮者の人が

    「たーやっ、たーやっ、たったっ!って感じで弾いて!」

    なんて言うことがあって、これを割とマジメなタイプの人が、

    「きちんと音楽記号で説明されなきゃわかんなーい!」

    なんて言ってる光景に出くわすことがあります。

    でもこれは自分の考えでは指揮者氏の方が正しい。

    だって、「たーやっ、たーやっ、たったっ!」を正確に表現できる音楽記号なんて、ないのですから。便宜上、それに近い形を音楽記号という形式を借りて模倣しているに過ぎないので。楽譜なんて、しょせんはそんなもんです。

    たしかに共通言語の音楽記号で説明してくれた方が、数十人の参加者がいる合奏という席上では効率的ではあるのですが、その考え方の根本には楽譜万能主義が潜んでいて、楽譜では拾いきれない細かなニュアンスっていうのが見過ごされているように思います。

    実際、プロオケのリハーサルDVDなんか見ていると、想像以上に「たーやっ、たーやっ、たったっ!」なんて指示が多いのです。
    単に「音を減衰させながらスラーかけて、3拍目はスタカート気味にして!」なんて言うより、直接イメージとして奏者に伝わりますからね。

    もっともこの「擬声語」しかできない指揮者は、たぶん・きっと、いや必ず嫌われます。「それだけ」ではね。宇宙人です。共通言語の楽譜は当然熟知していて、プラスアルファとして考えるべきワザなのでしょうね。

    と疲れた頭で音楽のことを考えてみました。




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    マンドリン合奏 | 02:39:22| Trackback(0)| Comments(0)
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