投稿日:2006-09-05 Tue
今日、赤とんぼが飛んでいるのを見つけました。このごろは、夜は少し涼しくなってきましたし、ああ、すっかり秋めいて来たなぁ、なんて思ったり。
『秋』と言えばまずは、「食欲の秋」!
私が今、服用しているステロイド剤の副作用として、「食欲の増進」というのがあり、ある程度いたし方ないことなんですが、最近の自分、食い意地が相当張っております。
食事制限で、いろいろ制約がある中でウマいもん見つける作業は、まるで禁断の果実を追い求めているかのような魅惑的なものでして・・・。
ここ数年、体重の増減が激しい自分ですが、過去8か月で7キロも太ってしまいましたよ(ハハハ)。
その前の8か月でたしか、8キロくらい痩せたので、いわば元の木阿弥ってヤツですね・・・。
しかし、今日の本題は、「読書の秋」。
こちらで行こうと思います。
今、読んでいる本の中に、とても興味深い一節があったので、引用します。
(万一、著作権法上、問題などありましたら、どなたかご指摘ください。その場合は引用方法を変えるなど、手段を講じたいと思います。)
「うーん。日本の社会自体、本読む人間には冷たいんですよ。本読むのって孤独な行為だし、時間もかかるでしょ。日本の社会は忙しいし、つきあいもあるし、まともに仕事しているサラリーマンがゆっくり本読む時間なんてほとんどないじゃないですか。本なんか読ませたくないんだな、って気がする。例えば僕が上司に、飲み会を断るとしますよね。『今日は早く帰って、こないだ並んで買ったTVゲームやりたいんです』って断る。上司は苦笑するでしょうけど、『しょうがない奴だな。あいつオタクなんですよ』で済ますでしょう。でも、『今日は早く帰って本読みたいんです』って断ったとしたらどうです?上司の心中はきっと穏やかじゃないだろうし、きっと僕に対して反感を持つでしょうね。みんなTVゲームは画一的で、本人の思考が入る余地がないこと知ってるから安心できる。でも、本読む奴というのは、みんなと違うこと考えてる、一人で違うことやってる人間だと見なされる。上司から見れば、『あいつ、俺の知らないところで俺に黙って何考えてるんだろう』って風になるんでしょうね。今、価値感の多様化とか言ってるけど、僕は完全に二極化するんじゃないかと思います。そういう多様な世界と、保守的な大多数の世界と。その保守的な大多数の世界-僕が今いる環境とかそうですよね-それは今、ローラーで有無を言わさず一色に塗りつぶされようとしているんですよ。だからその保守派に属する平均的日本人は、多様化の方の世界の人間が何をしようと平気だけれど、自分と同じ保守派に属している人間が本を読むのを憎む。一人で違うことするな、一人で違うこと考えるなって。日本人て、人間関係をわずらわしがるくせに、孤独にはものすごく弱いじゃないですか。それを解決する方法が、みんな同じことをするという手段なんですね。あの人も私と同じことしてる、だから私は孤独じゃない。それで、自分だけ違うとか、周りにいる誰かが違うことするとかいうのにとっても敏感でしょう」(恩田陸「三月は深き紅の淵を」より)
これ、本だけでなく、音楽でも映画でも放浪旅でも良いと思うんです。
とにかく、自分の頭で考えて何かをする、そういったことをしている「普通とちょっと違う」サラリーマンなら、誰もが多かれ少なかれ直面したことのあるであろう、日本の画一的企業戦士育成システム。
以前、私が勤めていた所は、上記の文中で言う、「多様化の方の世界の人間」のメンタリティを持つことを嫌う雰囲気が濃厚に漂っていました。そうした「保守的」な考え方を、若手だろうが年配だろうが、誰もが持っていた所でした。
自分がそこを辞めて転職した理由は複数あるのですが、今思えば、一番根源的で決定的だった理由は、恐らくこの点にあったように思います。
「あ~俺、この会社にいたら、きっと一生、クラシック音楽だのマンドリンだの放浪旅だのマイナー映画鑑賞だのっていう趣向を持っていることは、隠れキリシタンのように伏せ続けないといけないんだ。それどころか、言葉の端々で悟られぬように、日頃から、もっと下世話なことに関心を持って、周囲に溶け込むよう務めねば、きっといつか、完全に職場で『ハブ』にされてしまうだろう・・・」
と、いつもいつも、そんなことばっかり考えて仕事をしていました。
自分にとって、一番大切なものは何か?って言ったら、「精神の自由」だと思うんです。
それを失い、まるで洗脳でもされたかのような「大多数の保守的な世界」で生きていくことへの拒否反応は、自分の場合、相当に強烈なものでした。
今、私のいる仕事場の環境は?と言えば、
人間関係のストレスはほぼ皆無!
というとてもステキな状況にありまして、マンドリンやってることも、放浪旅をやってることも、完全オープンにしているので、私の「多様性」についても、かなりの部分、認知されていると思います。
秘密にしてるのは、このブログのことくらいのもんです(笑)
ま、バレてる可能性も想定して、最近は、あまり危険なことは書かないようにしておりますが・・・。
今、稚拙ながらも自由自在な精神でこうしてブログを書くことができているのも、自分が現在接している人たちに恵まれているからだなあと、つくづく思った「読書の秋」の入口だったのでした。
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うちらの職業って、世間で思われているのとは違って、結構自由ですよね。
上司に堂々と意見言ってもno problemだし、時間、服装もルーズだし。
保険とか銀行の人の話を聞くと、僕なんかには全然無理だなって思いますよ。
上司に堂々と意見言ってもno problemだし、時間、服装もルーズだし。
保険とか銀行の人の話を聞くと、僕なんかには全然無理だなって思いますよ。
2006-09-05 火 06:45:29 |
URL |
長谷島
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たしかに精神的自由は確保されてると思うね~。
そうそう、世間の印象とは180度逆と言ってもいいくらい。
ただ、
>時間、服装もルーズだし。
ウチに関して、これは厳格(特に時間)だけどね・・・。
>上司に堂々と意見言ってもno problem
これはケースバイケースだけれど、たしかに、筋が通っている場合、「生意気!」とかワケわかんない不合理な理由だけで叩かれることは、まずないかもね。
そうそう、世間の印象とは180度逆と言ってもいいくらい。
ただ、
>時間、服装もルーズだし。
ウチに関して、これは厳格(特に時間)だけどね・・・。
>上司に堂々と意見言ってもno problem
これはケースバイケースだけれど、たしかに、筋が通っている場合、「生意気!」とかワケわかんない不合理な理由だけで叩かれることは、まずないかもね。
2006-09-05 火 22:59:44 |
URL |
タテラッツィ
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