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タテラッツィ

  • author: タテラッツィ
  • 観たもの触れたもの、マンドリン音楽活動などについて、書いていきます。

    【告知】
    マンドリンオーケストラ“未完成』第11回演奏会
    2011年2月27日(日)浜離宮朝日ホール音楽ホール
    13時30分開場、14時開演
    シューベルト「未完成」、クルト・ヴァイル「小さな三文音楽」ほか。
    入場無料です。

    リベルテマンドリンアンサンブル2枚目のCD発売中!
    マンドリンオーケストラ編曲の最高峰と、新たな世界を切り拓いた委嘱作品を収録。

    指揮:中川賢一(Ken'ichi Nakagawa)
    マンドリン独奏:望月豪(Go Mochizuki)
    演奏:リベルテ マンドリン アンサンブル
       リベルテ マンドリン オーケストラ

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    ロマンティック
    【ただ今のBGM】
    交響曲第4番「ロマンティック」(ブルックナー)

    カール・ベーム指揮ウィーンフィルハーモニー管弦楽団




    カール・ベームと言えば、1960-70年代頃、実質的にウィーンフィルの常任指揮者待遇だった人(注:ウィーンフィルは1930年代を最後にその後常任指揮者を置いていない)。

    年々、その音から独特の香気が失われていると指摘されることの多いこのオケの「最後の全盛期」とでも言うべき一時代を築き上げた人でもあります。

    世界最高のオケ、ウィーンフィル。

    このオケは、さながら「気位の高い貴婦人のようだ」と形容されることがあります。
    つまり、駆け出しの若手指揮者なんかが指揮台に登った日には、指揮者の言うことなんざ全く聴きもせず、コンマスがどんどん音楽をリードしていってしまうし、逆に「オレ様系」の巨匠が恣意的な解釈をしようとするやいなや、休憩時間あたりにコンマス氏が指揮者の元に駆け寄ってコッソリ耳打ち、「そんな音楽を我々は望んではいませんよ。私たちはウィーンの伝統に則った演奏を後世に伝承できればそれで良いのですから」なんて言ったかどうかはわかりませんが、少なくとも、かのオレ様指揮者トスカニーニのことを「トスカノーノー」という渾名で蔑んでいたことは、こうした逸話好きな人たちの間では割と有名な話のようです。

    その点このベームは、ウィーンフィルにとっては最適な指揮者でした。
    とにかく、ウィーンフィルが大切にしている伝統を全く壊すことなく、忠実に再現することだけを己の身上としているかのような、そんな良くも悪くも冒険しない堅実な音づくり。それは恐らくオケに妥協しているのでも何でもなく、ベーム自身、このオケの伝統的美質にシンクロするものを感じていたのでしょう。

    そのガンコさたるや、

    「オレは毎朝起きたらすぐに植木に水を撒いて、それから新聞を取りに行って、1面だけ読んだら妻が作った朝食を食べ始める。最初に口をつけるのは必ずみそ汁だ。オレは名古屋出身だから関東生まれの妻には悪いが、長いこと赤味噌で作ってもらっている。少し辛めの味付けが好きで、その塩具合はこの35年、少しでも違っていた日は1日たりともない。」

    とか言ってる田舎の隠居ジジイみたいなもんです。

    ていうか、そういうこと言ってそうです(ベームはたぶん名古屋生まれじゃないと思いますが)。

    それで、このブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」。

    「ロマンティック」というサブタイトルは、ブルックナー自身がつけたもの。

    ブルックナーという作曲家は音楽史的には「ロマン派」時代真っ只中の人。

    そういう意味では、彼の書いた音楽全てが「ロマンティック」じゃん?

    とも言えそうですが、実態としては彼の音楽は音楽史的に位置づけることが困難なほどに超個性的。

    スコアにして10数段分の分厚いフォルティシモでジャンジャンバリバリと粗野な音響が鳴らされたかと思うと、突然やってくるゲネラルパウゼ(総休止)。おもむろに叙情豊かな弦楽の旋律が出てきて、

    「あ、これが【ロマンティック】なのね?そーか、そーか、●△学会」

    などと一人合点したり、しなかったり。

    それからやたらと同じ旋律、リズム型が反復されるのも、ブルックナーの音楽の特徴。

    特にスケルツォ楽章(大抵は第3楽章、交響曲第9番の場合は第2楽章)なんか、もうほとんど何が言いたいのかわかりゃせんって感じです。

    交響曲を何か、人生訓を述べるために書かれたものとでも考えている御仁には、理解不能な領域でありましょう。

    だが、それがいい。

    っていうか、この執念深い反復精神は、これまた時に指摘される所ですが、現代音楽の潮流の1つ、「ミニマルミュージック」の先駆けなのでは?と思わせるほどです。

    テクノミュージックなんかもそうだと思いますが、一定のリズム型が反復されることで、次第に妙な陶酔感が生まれるんですよね。

    思うに自分が初めてブルックナーに目覚めたのは、この陶酔感に何かしらの「新しさ」を感じた時だったように思います。

    ブルックナーの音楽って、何がいいのか、まったくわからんチン

    って言うことをよく聞きますが、自分の場合はそれが開眼のきっかけでしたね。

    それ以来、意味不明に粗野にしか聴こえなかったジャンジャンバリバリの強奏部分にも、曲全体の中における有機的な意義を見出せるようになってきたり、どんどんこの作曲家にハマりました。

    ただ今でも、ベーム&ウィーンフィルのブルックナーっていうのは、あまり聴かないですね。

    というのも、ベームはブルックナーという作曲家の持つ、「新しさ」に対してあまりに無頓着なような気がするのです。

    まさにこの曲のタイトルのような「ロマンティック」という側面が前面に出すぎているというか。
    と言っても、イタリアオペラのように感情吐露の音楽というわけではなくて、もっとドイツ・オーストリアの深い森の中にある古い城(ノイシュヴァンシュタイン城とかじゃなくて、もっと素朴なの)が脳裏に浮かんできそうな、そんな古色蒼然とした、でも見事な美しさ。

    ただそこには、ブルックナーのモノマニアックな一面は、無頓着というよりはむしろ注意深く取り除かれているのでは?と思わせるものがあります。

    ただ、弦や木管の音は死ぬほどキレイ。

    そして金管(とくにホルン)の音は死ぬほど汚い(笑)←それがウィーン流(?)

    でもって、ティンパニのトコトコトコって音がリアルに振動として伝わってくるほど優秀な録音。

    bohm-bruckner4.jpg


    このCD、自分の持っているものは冒頭のAmazonのリンク先のじゃなくて、この画像にあるものです(携帯からの方、たぶん見えませんね、すみません)。

    これ、第1楽章冒頭の弦のトレモロに対してベームが「シー!!」ってやってる場だそうですが、「オーストリアの深い森の中での静かな夜明け」とか、自分はここの場所、「そんな情景描写をするのでもなければ、このトレモロなんかはもっと五月蝿くてもいいんじゃない?」って思う派なんですね。実際、ブルックナーをもっとモダンな視点から見ている指揮者スクロヴァチェフスキなんかは、ここの箇所、ベーム&ウィーンフィルの数倍はありそうな音量で弾かせてます。でもベームにとってこの箇所はきっと、「オーストリアの深い森の中での静かな夜明け」でなければいけなかったんです。名古屋じゃなくてオーストリア南部のグラーツというエラく保守的な地域(ハイダーっていう極右政治家@現オーストリア閣僚の地盤でもありますね)出身のベームですから、結局の所、ブルックナーを見るまなざしはオーストリアの田舎人としての視点という大前提があったのでしょうね。
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    音楽全般 | 11:52:57| Trackback(0)| Comments(2)
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